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定年退職後ロンドンで始めた学生生活の日記

二十歳頃に計画しながら実現には至らなかった海外暮らしの夢を、長い会社員生活を終えた後ついに実行に移しました。行先は、本場の英語をもう一度学び直したかったこと、勉強以外にも滞在生活を楽しめる要素に満ちあふれていることなどからロンドンを選び、2009年4月23日から2010年3月25日までほぼ11ヵ月間滞在しました。従ってこの日記はちょうど2年前の出来事をあたかも現在進行形のように書いているものです。

2010年3月23日(火) 引越前日

7時10分起床。晴のち曇のち雨。気温11~2℃。

今日はCoramへの最終出勤日。フラットの明け渡しを明日に控え、帰国準備にも忙しいのにこの期に及んでまでインターンシップをしている場合か?と考えるのが常識!だと思う。実際そういう事情を踏まえてインターンシップコーディネーターであるANGELAに11日で終了したいという連絡をしたのだが、契約が3月いっぱいということになっているから、という素っ気ない返事で、それじゃあ最終出勤日は別送荷物の準備に忙しい18日の週を避けて23日に変更してもらう、ということで決着したのだ。

しかし、別の意味で今日は得難い体験ができた。今まで木曜日に行っていたのだが、今日は火曜日で職員やボランティアの勤務シフトが当然異なる。そのためいつも作業をしていた大部屋は満席状態でPCも空いていなかったのだ。そこで主任のMABELが他の部屋をチェックして空席を見つけて来てくれた。

ずいぶん立派なデスク
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ミーティングテーブルまで備えられている
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これは部長室なのだが今日は出張で不在なのでここで作業してくれ、ということだった。日本の会社では(規模や企業文化等にもよるだろうが)部長も社員も同じ大部屋のことが多いが、英米式だとこんな個室が普通なのだ。1ヵ月余りの勤務の後、今日から昇進してこの部屋があてがわれたんだ、と思えば何か楽しくなる。

もちろん一人だからと調子に乗ってサボっていてはいけない。個室ではあっても廊下から室内を覗ける仕組みになっている。

丸窓のあるドア
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まあ実際は、部屋の主が在室かどうか、あるいは電話中とかミーティング中ではないかを部下や他部署の人が訪ねて来たときにノックしなくてもわかるようにしてあるのだろうが・・・

仕事自体はPCでの作業なのでこれまでの大部屋でもほとんど会話はなかったが、一人隔離されると余計に孤独を感じる。しかし今日は朝一番に事情を話して、早上がりさせてもらうよう了解を得たので、14時で切り上げ、皆にお別れを告げた。5日来ただけの年配の東洋人ボランティアに、果たしてどんな印象を持ったのだろうか?

とにかくこれですべての留学プログラムは完了したことになる。気分的にはもうとっくに帰国準備モード一色になっているが・・・

Russell Squareの駅構内通路に映画”INVICTUS”の広告看板
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ラグビーファンならぜひ観た方が良いよ、と勧められたが、正直なところラグビーのルールも知らないし試合もほとんど観たことがない。ラグビーファンでなくても観た方が良いよ、とも勧められたが、残念ながらもう映画に行く時間はない。

Oxford Circusに着いて、まずPost Officeに行き住所変更届を出す。転送先は外国でも大丈夫のようだが、転送期間に応じて前払いで転送手数料を払うところが日本とは異なる(国内外を問わず)。銀行の分は既に手続済みなので、3ヵ月間くらいで十分だろう。

Oxford Circus交差点から北方向に目立っているのはAll Souls Church(オール・ソウルズ・チャーチ)
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ずいぶん近いのに結局ここへは1、2度しか足を踏み入れる機会がなかった。

Chuech側から振り返るとLloyds(ロイズ)が左の一番手前に見える 大学の真向かいだ
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大学は正面入口やロビーの大規模補修中である 歩道にも車道にも足場が組まれてだいぶ邪魔をしているようだ
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そういえば授業中、騒音でうるさかったこともある。

604号教室 火曜と木曜の夜間にCambridge Examクラスが行われる部屋
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今夜は別の用事があるため出席できない、ので見納めに来てみた。

正面階段の壁面に本学の歴史が書いてある 
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Polytechnic Institution(科学技術教育研修施設)としての創設は1838年だが1882年に新しい母体に変わったようだ。

1869年の電気に関する授業風景 
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当時の大きな役割としては最新の科学技術を一般の人々に紹介することにあった。また1908年に初めてロンドンでの開催となったオリンピックでは競技運営スタッフとしてもまた選手として相当な役割を担ったようである。1960年代後半にはあのJimi Hendrixがロンドンで初めてのライブ演奏を披露する場所となり、Pink Floydのメンバーが卒業生だったり、長い歴史の中でいろいろなことがあったのだ。そして1990年代に入ると学制改革によって高等専門学校は大学に改組され現在に至るのだ。

地下への急階段を降りる
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The Deep End Restaurant(ディープ・エンド・レストラン)
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これがRegent校舎の学食の名前だが、元々はプールがあった場所なので、それにちなんでいるのだ。

学食
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メニュー 
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昨年と違ってメインディッシュに付け合わせの有無とその数で値段が細かく設定してある。メインだけなら2.6ポンド(約360円)で食べられるのだ。

HMV ここはよく通ったミュージックショップ できることなら100枚単位でCDを買って帰りたい、と何度思ったことか・・・
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John Lewis(ジョン・ルイス) ランチ、衣類、家電、食器等々いろいろお世話になった
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ずっと日常的な存在だったものが、いよいよこの地を離れるときになると無性に懐かしいというか、惜別の気持ちでいっぱいになる。

ICCオフィスに立ち寄って帰国の挨拶をする。それと輸送中に壊れてはいけないので別送することは避けて、次に来る日まで一時保管してもらうことにしたコンサーティーナを預ける。フィドルと両方を手荷物として持ち帰ることは難しいので5月まで預かってもらうようお願いしておいたのだ。

最寄り駅 West Hampstead(ウエスト・ハムステッド)のプラットフォーム
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メトロポリタンラインの列車
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ジュビリーラインと平行して走っているが、東隣のFinchley RoadからWembley Parkまで停車しない。ロンドンに来て間もない昨年5月にPaddingtonに向かう途中、Baker Streetであの列車に間違って乗ってWembley Parkまで行ってしまったことも今では懐かしい。

ジュビリーラインのルート案内
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ジュビリーラインの列車 
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メトロポリタンラインの列車よりも明らかに一回り小さい。ロンドンの地下鉄は、ほとんどライン毎に別々の私鉄として発足しているため車両の規格が統一されていないのだ。

フラットの前の通り West End Lane このまま南に進んで行くとAbbey Roadに名前が変わるのだ
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夏~秋~冬~春と通い慣れた道・・・

19時にBell Living社のY氏がやって来た。明日は朝からハウスクリーニングが入るため、すべての私物を運び出しておかなければならない。そこで週刊ジャーニーの広告を見て買取依頼をしておいたのだ。テレビ、ラジオ、その他小物を締めて115ポンドで引き取ってもらった。仮に査定額に文句があったとしても引き取ってもらわないと困るのはこちらなので価格交渉はいっさいせず。少し雑談して聞いたところでは、彼は元は家電メーカーの技術者として英国に来たらしいが、仕事で知り合った同社の先代が引退する際に事業を引き継いで実質的に一人で切り盛りしているらしい。修理は当然得意なので、買い取ったものをきれいにして新しくやって来た邦人に売っているというわけだ。

確かに1、2年程度の滞在なら新品でなくてもこういう”帰国売り”された品物を買って使えばうんと安上がりなのだ。将来また住むことにでもなったらぜひ彼から買おう、と思った。

8ヵ月間使って来た食器、調理用具、それに最後まで残った食品はFinchley Roadのもう一つ先のSwiss Cottageに住むMAKIKOに引き取ってもらうことにした。引き取り手のないものが残ればもう捨てるしかないが、さすが関西人だけあって?残らずすべて持って帰りたいと言うので、二重にした紙袋に詰め込んで持って帰ってもらう。とは言え紙袋に入れて両手で運べる量は知れている。結局Y氏が帰った頃にもう一度やって来てさっき持ちきれなかったものを運ぶことになったが、まだ両手に余ったので今度は手伝うことにした。二人で両手だから、1回目の分を合わせて合計6本の手でやっと運べる量だったわけだ。部屋に入りきるのかちょっと心配だったが、何とか収まったようだ。彼女は大学院に進む予定のため、あと1年はロンドンにいるのだ。

帰宅して、すっかりがらーんとした部屋で最後の手荷物をスーツケース2個に詰める。


2時40分就寝。
  1. 2012/03/23(金) 23:22:55|
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Author:oldstudentinlondon
高校時代は生物研究クラブ、大学は理学部生物学科、社会人生活は製薬会社と臨床検査会社、という具合にずっと生命科学の世界にどっぷり浸りきっていたのですが、定年退職が近づくにつれて、これまでとはまったく異なる分野のことを少しでも知りたいと考え、英語、英国文化、芸術等について学ぶことを目的にシニア留学に踏み切りました。
結果として期待以上に充実した時間を送ることができました。真っ先に挙げられるのは、これまでおよそ話す機会もなかったような若い世代の友人達と親しくつき合えたこと、そしてこれまでマスコミ等を通じて間接的にしか知り得なかった国々から来た学生達と話すことを通じてそれらの国に対する自分のイメージが大きく変わったこと、です。やはり海外に住んで改めて日本を見直すということは、年齢に関わりなく極めて意味深いものだと実感しました。
なお、記事中の人名は、知人については本人の承諾を得た場合を除いて仮名を用いています。政治家、アーティスト等広く一般に知られている人については原則として実名を用いています。

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