9時20分起床。曇のち晴のち快晴。
ロンドンを引き払う最後の数日間と機内での睡眠調整の反動かも知れないが、久しぶりに8時間余り熟睡した。飛行機の中だろうがホテルのベッドだろうが、場所を選ばずにどこでも良く眠れるというのは旅をするときには有利な条件と言って良いのだろうか?少なくとも体調を保つためには必須要件だと思う。
このホテルでは無料の朝食サービスがある
ベッドと朝食がセットになっているのだからB&Bと言っても良いかも知れない。しかし朝食メニューは豪華なフル・イングリッシュ・ブレックファストとは比較にならない簡素なものだ。
さて、今日は東京を発つ前にどうしてもしておかなければならないことがある。それは昨年7月に85歳で亡くなった叔父さんの墓参りである。7月初めにフラットを借りて引っ越して間もない頃に、深夜に日本から持参したauの携帯電話が鳴り出して起こされたのだが、それが従兄弟からの訃報の連絡だった。遠くイギリスに住んでいることはごく限られた人にしか伝えていなかったので驚いていたようだが、それよりも遠く離れた外国にいようが携帯電話でリアルタイムに普通に話ができることが我々の世代にはとてもすごいことに感じられる。そうと知らなければすぐ隣の部屋にいるのかと思うくらいクリアに聞こえるのだから・・・。
5人兄弟の4番目だった父親の弟である叔父がまだ医大の学生だった頃、祖母ともどもうちの家族と同居していて、子供の頃にいろんなところへ連れて行ってもらったものだ(中でも初めてパチンコ屋に入ったことは今でも鮮明に記憶している)。
そんなわけで帰国したらすぐに行こうと思っていたので、亡くなった叔父の長男である従兄弟(電話をして来たのは別の従兄弟)に案内してもらったのだ。山手線の大塚駅で待ち合わせをして、池袋経由で所沢まで行き、駅前からタクシーで霊園に向かう。すでに十数年前に亡くなった叔母もここに眠っているのだが、実際に訪れるのは今回が初めてだったので、墓前でしばし子供時代からの長年の思い出を心の中で噛み締めた。
池袋まで戻り、従兄弟と西武池袋店の食堂街でうな重のランチを食べながら何年ぶりかの積もる話をして、そこで別れた。再び山手線で東京駅に戻り、17時11分発のぞみ241号で19時31分京都駅着。20時過ぎについに11ヵ月ぶりに無事帰宅した。
完
<あとがき>
ロンドンで実際に過ごした時間は終わりに近づくほど早くなったように感じたものだが、こうして2年遅れの日記を書き連ねていく作業も予めトータルの日数がわかっていたとは言え、最初の頃はその行末が途方もない先に思えたにも関わらず、終わりに近づくにつれ、ああもうすぐ終わりか!と名残り惜しい気分になって来た。振り返ってみると始めの2ヵ月間くらいは続けるのが苦しいときもあったが、その後は完全に日課として、旅行等で遅れることはあったが、最後まで途切れることなく書き終えることができた。
大学を卒業してから送った30数年間の会社員生活の間にはもちろん公私にわたってさまざまな苦楽もあったが、振り返ってみればある種の型にはまった、と言うのか、一つの規範の中で過ごした、と言うのかわからないが、後から見れば他の大多数の皆と同じ平均的人生を送っていたのだと思う。
しかしここに記してきた2009年4月から2010年3月までのできごとの数々は、それほど多くの人が経験し得たことではないだろうし、何よりも自分にとってはそれまでの人生とまったく違う世界に飛び込んでいた11ヵ月間だと思える。だから帰国してから時間とともに次第に薄れて行くに違いない記憶に留めて置くのではなく、いつでももう一度振り返って見直すことができるように文章化しておくことが必要だと痛切に感じたのだ。
昔の海外出張ではできる限り映像記録を持って帰るぞ!と勢い込んで36枚撮りの写真フィルムをかさばるのも顧みず10本も20本も大切に持参したものだが、今やデジタル時代の恩恵でそんなに肩に力を入れなくても、常にポケットに軽量デジカメを持ち歩き、歩いた道や見かけたものを迷わず気楽に記録代わりという感覚で大量に保存して来ることができた。その数は1万数千枚!今度はこれをどうやって整理すれば良いのかという問題が生じたが、1日単位で見直すことによって何とか整理はついた。もちろん日によって枚数にバラつきがあり、ゼロの日もあれば100枚をはるかに超える日もある。それを1枚ずつ見直していると、その日の空気や気分まで甦って来るのだった。写真の持つ力、情報量は実に大きいと思った。
見終わった後には、とても全部を掲載することはできないのでどれを選択するかという作業があり、それでその日書く大体のストーリーが頭の中にでき上がる。写真のサイズがカメラ撮影時の設定では大きすぎるためブログの機能を使って縮小してはアップロード~ダウンロードを繰り返し、文章を書きながら写真の並べ替えも行う、という結構労力と時間を要する作業を339日間にわたって毎日続けて来たことになる。
本当のことを言えば、実はロンドンに行くと同時にリアルタイムでブログを書いて家族や友人に毎日の報告をしようかな、と考えていたのだが、2、3日でこれは無理だと断念したのだ。毎日が新しい経験の連続で、本分である勉強もしなければいけない、食事の時間も取らないといけない、友人付き合いもある、等々で毎日ブログを書く時間など到底取れるわけはなかった。その点からも2周回遅れながら日記を書いて行くことは、やり残したことの完結という意味合いも兼ねていた。
何はともあれ2年前の実体験を再度、今度は頭の中で追体験することができたのだから、体験の記憶の強化につながったことは間違いない。これでもう思い残すことなく、次は何か新しいこと(Something new)に取りかかる時期が来た、と思う。
最後に海外留学の最大の収穫は何かと問われれば、今までまったく接点のなかった多くの国の人達と出会えて直に話ができたこと、そのことでお互いにこんなことも知らなかったのかと思えることを少しでも発見できたことを挙げる。最近では、海外留学志望者が減って来ているそうだが、もし自分が若いときにこういう経験ができていれば、その後の人生にどれだけ役立ったか計り知れないし、若いときではなくてもマスコミやインターネット等を通じての限られた間接的な情報ではなく、可能な限り自分で見聞きすることの大切さを軽視してはいけないと思う。
最低限の資金と気力さえあれば、リタイアして自由になる時間を得た60歳代の方々にもお薦めしたいし、そういうニーズに向けたプログラムを提供して機会を増やす支援団体の企業努力も必要であろう。もちろん何よりも大切なことは誰かが作ったレールに漫然とただ乗りして良しとするのではなく、常に何が最善かを自分で考えて行動する心構えである。
今回、図らずもいくつかの授業でクラスメートとしておつきあいいただいた日本の学生、若者たちの前向きの考え方、行動力にも感心した。彼らがいる限り日本の将来は安心だと思う。内向き指向だとか何だとか言われながらいつの時代にも世界に目を向け、自分の将来をきっちり描いて実現に向けて行動する若い日本人を知ることができたことがもう一つの大きな収穫だった。
<おまけ>
さてさて、今日で終わりと言いながら未練がましいのですが、帰国から約2ヵ月後の2010年5月20日から6月2日までの2週間にわたって今度は旅行者として渡英し、スコットランドの北端からイングランド東部、西部の各地を巡る旅をしました。こちらもちょうど2年後となる本年5月の同じ日付からこのブログの一部として(続編として)書いてみようか、と考えています。少し時間が開くので忘れてしまうことと思いますが、もし思い出してご笑覧いただければ幸いです。
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2012/03/27(火) 23:58:19 |
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<昨日ヒースローを後にしたところでこのロンドン滞在日記は終了としても良かったのですが、旅というものは無事に元の家に帰ってきて初めて完了するものだと考え直し、明日3月27日まで続けることにします。>
最近10年間は毎年海外出張で国際線の飛行機にはよく乗った。しかし昨年4月に成田からロンドンへ飛行して以来、アイルランドとドイツへ短距離飛行をした以外は長い飛行時間を一度も経験しない久しぶりの1年になった。
勇んで日本を飛び出す直前のビザ(Entry Clearance)トラブルで出発の延期と予約便のキャンセルを余儀なくされ、もし再び同じことが起きても損失を被らないように、エコノミークラスのちょっと上のエコノミーエクストラのフレキシブルというチケットを購入しておいたおかげで席は楽だし、手荷物の許容重量が30kgまでに増えたため追加料金もかからず結果的には良かったと思う。
機内の朝食
オムレツ、ソーセージ、ハッシュブラウン、ヨーグルト、パン、ジュース、コーヒー。まあ普通に美味しかった。
午前10時34分、定刻より少し早く成田空港に着陸。11時20分には入国手続完了。今日は東京に1泊するので、不要な荷物=スーツケース二つをヤマト便で自宅に送る(2個で3,480円)。配達指定時間は明日の18時~20時。これだけ狭い時間帯指定に対応してくれるのは世界中で日本の会社にしか成し得ない、と思う。
26日のランチ
1年間母国を離れていた後で何を最初に食べるかが問題だが、実はすんなり決まった。稲庭うどんと天ぷらのセットである。座ったままの長距離フライトで疲れているときは食べ易さという点で麺類が良いのだ。しかし麺類だけではちょっと物足りないので天ぷらを補足するというのは完璧な組み合わせだと思う。
食後、成田エクスプレスでいよいよ東京へ。14時14分に到着して大手町まで歩き、京王プレッソインというビジネスホテルにチェックイン。しかしチェックイン受付開始はまだだったので、荷物を預けて外出。
東京の街を歩いていて懐かしさとか違和感とかがあるだろうか?いや不思議なことにそれはまったくない。昨日ロンドンの街を歩いていて、今日は東京を歩く、その間に何らのギャップもない、と言うか空間を隔てている感覚を感じないのだ。これには我ながら驚いたが、実際にそうだったのだ。自分の中で地球が小さくなってしまった、のかも知れない。
今夜は帰国日をこの日にした最大の理由であるBob Dylanのコンサートを観に行く。会場はZepp Tokyoなので新橋から”ゆりかもめ”に乗って青海まで。
The BeatlesやMiles Davis等もそうであったように、常に過去の成功遺産にこだわることなく変わり続け得るミュージシャンと言うのは本当の才能と自信に裏付けされたごく少数の天才に限られると思うが、Bob Dylanも間違いなくそのうちの一人であり、1960年代から1970年のヒット曲は封印して新作や比較的新しい曲だけで構成することによって最近聴き始めたような若年層にも受け入れられる、ということになるのだ。もちろんその逆に古いヒット曲を期待するオールドファンには不満足と感じる人もあるだろうが、あえてそれを乗り越えてやり通してしまうところが凄いと思う。
1978年の初来日時に感じた真のカリスマを目の当たりにしているという印象は今も変わらず、孤高の存在というイメージがいささかも色あせないところはさすがである。過去のヒット曲を決してやらないわけではない。ただMCもなく、完全にアレンジを変えた形でさりげなく始めているため、聴衆がなかなか気が付かないだけである。
聴衆の年齢層ががかなり広いところも驚いた点である。1960年代とか1970年代に名を上げたミュージシャンの再来日コンサートだと、聴衆も同じように年を重ねたと一目でわかるような、一種の同窓会のような雰囲気になることが少なくないが、Bob Dylanの場合は本人は年を取ったにもかかわらず聴衆には現在の若者も多く混じっている、という何かアンバランスさがある。それでも文字通り老若男女が一堂に集まって一人の演奏(もちろんバックバンドはいるのだが)を同じように楽しめると言うのは希有の存在のみに成し得ることかも知れない。
2時間ほどぶっ通しで歌い続けたと思ったら、さっと終わってしまうところも相変わらずであった。残念ながらロンドンとは違ってカメラの持ち込みは厳格に禁止されているため1枚も撮れなかったが、本当に立錐の余地もなく満員(オールスタンディング)で、背の高い方が圧倒的優位だと感じるのはこういうときである。
帰りの”ゆりかもめ”は混みそうだったので、臨海線・京葉線で東京に戻り、まだ開いていた地下街の天ぷら屋で天丼を食べる。昼も夜も天ぷらとはどうも美味しい天ぷらに飢えていたのかも知れない。
携帯メールで従兄弟に明日会う確認をして寝る。特に困難もなく眠ることができたのは時差調節がうまくいったことと、コンサートが立見だったため自覚はないが結構疲れたのかも知れない。
1時30分就寝。
2012/03/26(月) 23:24:40 |
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2時40分起床。曇。
大幅に経度差のある長距離の飛行機移動をするときは時差ぼけ対策が必須である。薬物を使った積極的な対処法としてメラトニンがつとに有名だが、自分にとっては2、3日前から行先の時間帯で生活するという方法が一番簡単で一定の効果がある方法だと思っている。
さらに、着いた日から良い睡眠が取れるように機内での睡眠時間を調整することも大切。午後に到着する場合は機内でできるだけ眠らないでおき、朝到着の場合は機内でよく眠っておく。要するに生体リズムを早く変えることだ(メラトニンも同じ原理だが)。
昨夜は19時前に寝て今朝3時前に起きたと言うことは、日本時間に置き換えると朝の4時前に寝て正午前に起きたことになる。時間帯移行の第一段階としてはまずまずであろう。後はできるだけ睡眠不足状態を維持して、いざ眠りたい時間にすぐ眠れるようにすること、が必要だ。
6時18分にホテルをチェックアウト。いつの間にか6時にはもう夜が明けている季節となった。
Earl's Courtに泊まった理由はPiccadilly lineが通っているのでヒースローまで1本で行けるからだ
6時30分に発車した列車は7時9分に”Heathrow Terminals 1,2,3”到着。Tubeは時間はかかるがHeathrow Expressの数分の1の運賃で済む。
SAS(Scandinavian Airlines)のチェックインカウンターでスーツケース2個を預けてから出国手続を終えるまでわずか15分で済んだ。米国だと1時間以上は覚悟しないといけないところだが、ヨーロッパではたいていの場合あっけないほど早い。
9時55分発SK502便でSASの本拠地コペンハーゲンに向かう
機種はMD-82
乗客数は150席中6割くらい
機内の朝食サービスが始まった
北欧スタイル?見栄えはあまりパッとしないが美味しかった
SASはコペンを起点に北米、ドバイ、バンコク、北京、東京に飛んでいる
東京への飛行ルートは大部分がロシア上空であることがよくわかる。30年くらい前に初めてヨーロッパに行った頃は南回りだとか北回りだとか、旧ソ連上空を避けて随分遠回りしていたのだ。何度か途中の空港に降りて給油し18~24時間かかった記憶があるが、今ではたったの8~9時間だ。
12時40分、予定よりも少し早くコペンに到着。次の便まで時間があるのでWireless Internetコーナーを見つけて、まだ帰国の連絡をしていなかった何人かにメールを送る。60分間の利用で60クローナ(約1,000円)も取られた。
乗り換えるのは15時40分発成田行きSK983便である
成田便の機内 エコノミープラスというちょっとだけ前後の間隔が広めの席である さらに同クラスの一番前の席だったので足が伸ばせてラッキーだった
成田便の夕食
メインは白身魚のソテーとピラフ。これも見栄えは今イチだが美味しかった。食器がプラスティックではなく陶器とガラスなのも良かった。繁忙期のエコノミークラスでは食事と言うよりエサを与えられているように感じることがあるが、これは質量ともに問題はなかった。
2012/03/25(日) 23:24:07 |
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6時40分起床。気温17~8℃。
フラットを退去する当日の手続は二つ。ハウスクリーニングとインベントリーチェック。私物の除去は昨日終わっているので、帰国用の手荷物=スーツケース大小各一つとリュック、を用意して待つ。
ハウスクリーニングは室内を隈無くきれいに掃除して次の入居者がすぐ住めるようにしておくためなので、大体は専門の業者を入れて行う(費用は現在の借り手が負担)。約束の通り10時にハウスクリーニング業者が4人でやって来た。2時間くらいで完了すると言うので、荷物を全部持って出発。行先は今夜泊まるホテルである。Jubilee lineとPiccadilly lineを乗り継ぎ約30分でEarl's Courtに到着。駅から北に進むと間もなく広い交差点に出る。
West Cromwell Road
朝夕のラッシュアワーはかなり車の多い道だが、今は11時前なので空いている。この通り沿いにはホテルやB&Bがたくさん並んでいる。西へ4、5分歩くとホテルに到着した。
Premier Inn Earl's Court
Premier Innは英国のあちらこちらにあるホテルチェーンで、グレードとしては日本のビジネスホテルに近い。
チェックインにはまだ早過ぎたので、荷物を預けてすぐに引き返す。荷物の運搬さえ早目に終えておけば後は身軽に動ける。しかしあまり早く戻っても掃除が終わるまでは中に入れないので、復路は328番のバスでKilburn Parkまで帰る。カードが使えない場合に備えてLloydsのATMで現金を引き出す。
そこからは歩いて12時を少し回ったところで帰宅。その時点でクリーニングはまだ続いていたが、作業スタッフが額に大汗をかきながらゴミや持参した道具を持ち出してほどなく終了となった。クリーニング部隊のリーダーは中東系と見える30代か40代の人物で、非常に感じの良い態度で終始した。料金は現金で払うのか、と聞いたら大家が払ってくれるので払わなくて良いという回答。なるほど立替払いをしておいて後でこちらへ請求するというわけか。他のスタッフは一言も口を利かなかったので英語を話せないのかも知れない、と思った。しかし帰って行く彼らにThank you!と声をかけると笑顔を返してくれた。無事に終わって一安心だ。恐らくこのフラットのクリーニングはいつも彼らに頼んでいるのだろう。
いよいよ別れを告げる瞬間が近づいた。昨年6月2日に初めて下見(この部屋ではなかったが)に来て、7月12日に引っ越して以来8ヵ月余り、ロンドンに自分の家(持ち家ではなくても)があるという満足感と優越感を得て来た。実際バスと地下鉄の駅に近いためどこへ出かけるのにも便利だし、買い物にも不自由がなく、なおかつ非常に静かで窓から眺める景色も良いという、あり得ないほど良いところだった。もしいつかもう一度ロンドンに住む機会があれば、またここへ戻って来たいと思うほどだった。
東向きの窓 ここから朝日を見るのが好きだった
リビングルームのソファ あまり座った記憶はなくほとんど荷物置き場になっていた
キッチン 狭いが毎日の調理には何も問題はなかった
バスルームの洗面台
バスタブ 湯を溜めるのにはとても時間がかかるのでほとんどシャワーで済ませた
ベッドルーム 最初に下見した部屋は”スタジオ”と呼ばれるワンルームタイプだったのでこの部屋を見たときにはとても広くて良い物件に思えた
ベッドルームの洗濯機 ベッドサイドの押し入れの中にあるのはちょっとヘンだが実用上は問題なかった
14時前にLTPSのTさんがやって来て、さっそくインベントリーチェック。滞在者向けガイドブックによると、通常は大家とチェックの専門家と借り手の3人で部屋と家具の汚れ、食器等備品の破損、紛失等々を時間をかけてこと細かく確認するようだが、このフラットは大家が個人ではなく会社であり、管理のほとんどをエージェントであるLTPSに任せているためか、極めて簡単で早かった。それから預かっていた部屋の鍵を返して住み慣れた”わが家”を後にする。
セカンドフロア(最上階)には1~4号室がある
中2階にもいくつかの部屋があるのでサードフロア(4階)のように見えるが3階である。ややこしいがイギリス英語ではセカンドフロアが3階なのだ。このフラットの1階すなわちグランドフロアはブリッジクラブになっているので、住居は2階、中2階、3階である。
今まで一度も顔を合わせたことがない向かいの4号室から人が現れ荷物を運び出していたので今出て行くところだと声をかけると、何と彼らも今日引越してロシアに帰るところだ、と言うではないか。最初で最後の短い会話だったようだ。
Flat 1 この部屋を訪ねて来てくれたクラスメートたちは24人に達する
もう一度逆方向の328番のバスに乗って、Cromwell Roadまで行く。既に15時を回っていたので荷物を請け出してチェックイン。普通のホテルと違ってすべてセルフサービスで行う。チェックイン機のタッチパネルを操作するとカードキーが出て来る仕組みだ。
とりあえず部屋に荷物を置いて出かける。ずっと動いていてランチ抜きだったのでHigh Street Kensingtonまで歩き、6日前に行ったWhole Foods Marketへ。
Whole Foods Market High Street Kensington
入口にはイースターエッグが山積み
2階のイートインフロアのブリトーコーナー
フィッシュタコス この味が忘れられなかったので今日もこれにする
遅いランチの後は、まったく6日前の繰り返しになるが、南方熊楠のフラットを再度見に行く。ホテルへの帰り道からちょっと脇に入ったところにあるのだ。
熊楠のフラット
さらにホテルへ戻る途中で満開の桜を発見
ソメイヨシノではないがピンクの色調は日本のものと変わらない。日本の桜予報では近畿地方でもそろそろ咲き始めるようなので、今年はロンドンの桜と日本の桜を併せて楽しめる、ということになった。
フレディーの家
雪の積もった寒い冬の日、1月30日に探しに出かけたFreddie Mercuryの家は何とホテルから至近距離も良いところ、わずか一筋北だった。自分にとってロンドンも随分狭くなったものだ、と理由もなく悦に入る。
明朝の出発が早いので夕食は外食ではなくKensington High Streetの Marks & Spencerで買って来たパンとドリンクで簡単に済ませ、思いっきり早寝(Early Bed)する。
18時45分就寝。
2012/03/24(土) 23:23:33 |
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7時10分起床。晴のち曇のち雨。気温11~2℃。
今日はCoramへの最終出勤日。フラットの明け渡しを明日に控え、帰国準備にも忙しいのにこの期に及んでまでインターンシップをしている場合か?と考えるのが常識!だと思う。実際そういう事情を踏まえてインターンシップコーディネーターであるANGELAに11日で終了したいという連絡をしたのだが、契約が3月いっぱいということになっているから、という素っ気ない返事で、それじゃあ最終出勤日は別送荷物の準備に忙しい18日の週を避けて23日に変更してもらう、ということで決着したのだ。
しかし、別の意味で今日は得難い体験ができた。今まで木曜日に行っていたのだが、今日は火曜日で職員やボランティアの勤務シフトが当然異なる。そのためいつも作業をしていた大部屋は満席状態でPCも空いていなかったのだ。そこで主任のMABELが他の部屋をチェックして空席を見つけて来てくれた。
ずいぶん立派なデスク
ミーティングテーブルまで備えられている
これは部長室なのだが今日は出張で不在なのでここで作業してくれ、ということだった。日本の会社では(規模や企業文化等にもよるだろうが)部長も社員も同じ大部屋のことが多いが、英米式だとこんな個室が普通なのだ。1ヵ月余りの勤務の後、今日から昇進してこの部屋があてがわれたんだ、と思えば何か楽しくなる。
もちろん一人だからと調子に乗ってサボっていてはいけない。個室ではあっても廊下から室内を覗ける仕組みになっている。
丸窓のあるドア
まあ実際は、部屋の主が在室かどうか、あるいは電話中とかミーティング中ではないかを部下や他部署の人が訪ねて来たときにノックしなくてもわかるようにしてあるのだろうが・・・
仕事自体はPCでの作業なのでこれまでの大部屋でもほとんど会話はなかったが、一人隔離されると余計に孤独を感じる。しかし今日は朝一番に事情を話して、早上がりさせてもらうよう了解を得たので、14時で切り上げ、皆にお別れを告げた。5日来ただけの年配の東洋人ボランティアに、果たしてどんな印象を持ったのだろうか?
とにかくこれですべての留学プログラムは完了したことになる。気分的にはもうとっくに帰国準備モード一色になっているが・・・
Russell Squareの駅構内通路に映画”INVICTUS”の広告看板
ラグビーファンならぜひ観た方が良いよ、と勧められたが、正直なところラグビーのルールも知らないし試合もほとんど観たことがない。ラグビーファンでなくても観た方が良いよ、とも勧められたが、残念ながらもう映画に行く時間はない。
Oxford Circusに着いて、まずPost Officeに行き住所変更届を出す。転送先は外国でも大丈夫のようだが、転送期間に応じて前払いで転送手数料を払うところが日本とは異なる(国内外を問わず)。銀行の分は既に手続済みなので、3ヵ月間くらいで十分だろう。
Oxford Circus交差点から北方向に目立っているのはAll Souls Church(オール・ソウルズ・チャーチ)
ずいぶん近いのに結局ここへは1、2度しか足を踏み入れる機会がなかった。
Chuech側から振り返るとLloyds(ロイズ)が左の一番手前に見える 大学の真向かいだ
大学は正面入口やロビーの大規模補修中である 歩道にも車道にも足場が組まれてだいぶ邪魔をしているようだ
そういえば授業中、騒音でうるさかったこともある。
604号教室 火曜と木曜の夜間にCambridge Examクラスが行われる部屋
今夜は別の用事があるため出席できない、ので見納めに来てみた。
正面階段の壁面に本学の歴史が書いてある
Polytechnic Institution(科学技術教育研修施設)としての創設は1838年だが1882年に新しい母体に変わったようだ。
1869年の電気に関する授業風景
当時の大きな役割としては最新の科学技術を一般の人々に紹介することにあった。また1908年に初めてロンドンでの開催となったオリンピックでは競技運営スタッフとしてもまた選手として相当な役割を担ったようである。1960年代後半にはあのJimi Hendrixがロンドンで初めてのライブ演奏を披露する場所となり、Pink Floydのメンバーが卒業生だったり、長い歴史の中でいろいろなことがあったのだ。そして1990年代に入ると学制改革によって高等専門学校は大学に改組され現在に至るのだ。
地下への急階段を降りる
The Deep End Restaurant(ディープ・エンド・レストラン)
これがRegent校舎の学食の名前だが、元々はプールがあった場所なので、それにちなんでいるのだ。
学食
メニュー
昨年と違ってメインディッシュに付け合わせの有無とその数で値段が細かく設定してある。メインだけなら2.6ポンド(約360円)で食べられるのだ。
HMV ここはよく通ったミュージックショップ できることなら100枚単位でCDを買って帰りたい、と何度思ったことか・・・
John Lewis(ジョン・ルイス) ランチ、衣類、家電、食器等々いろいろお世話になった
ずっと日常的な存在だったものが、いよいよこの地を離れるときになると無性に懐かしいというか、惜別の気持ちでいっぱいになる。
ICCオフィスに立ち寄って帰国の挨拶をする。それと輸送中に壊れてはいけないので別送することは避けて、次に来る日まで一時保管してもらうことにしたコンサーティーナを預ける。フィドルと両方を手荷物として持ち帰ることは難しいので5月まで預かってもらうようお願いしておいたのだ。
最寄り駅 West Hampstead(ウエスト・ハムステッド)のプラットフォーム
メトロポリタンラインの列車
ジュビリーラインと平行して走っているが、東隣のFinchley RoadからWembley Parkまで停車しない。ロンドンに来て間もない昨年5月にPaddingtonに向かう途中、Baker Streetであの列車に間違って乗ってWembley Parkまで行ってしまったことも今では懐かしい。
ジュビリーラインのルート案内
ジュビリーラインの列車
メトロポリタンラインの列車よりも明らかに一回り小さい。ロンドンの地下鉄は、ほとんどライン毎に別々の私鉄として発足しているため車両の規格が統一されていないのだ。
フラットの前の通り West End Lane このまま南に進んで行くとAbbey Roadに名前が変わるのだ
夏~秋~冬~春と通い慣れた道・・・
19時にBell Living社のY氏がやって来た。明日は朝からハウスクリーニングが入るため、すべての私物を運び出しておかなければならない。そこで週刊ジャーニーの広告を見て買取依頼をしておいたのだ。テレビ、ラジオ、その他小物を締めて115ポンドで引き取ってもらった。仮に査定額に文句があったとしても引き取ってもらわないと困るのはこちらなので価格交渉はいっさいせず。少し雑談して聞いたところでは、彼は元は家電メーカーの技術者として英国に来たらしいが、仕事で知り合った同社の先代が引退する際に事業を引き継いで実質的に一人で切り盛りしているらしい。修理は当然得意なので、買い取ったものをきれいにして新しくやって来た邦人に売っているというわけだ。
確かに1、2年程度の滞在なら新品でなくてもこういう”帰国売り”された品物を買って使えばうんと安上がりなのだ。将来また住むことにでもなったらぜひ彼から買おう、と思った。
8ヵ月間使って来た食器、調理用具、それに最後まで残った食品はFinchley Roadのもう一つ先のSwiss Cottageに住むMAKIKOに引き取ってもらうことにした。引き取り手のないものが残ればもう捨てるしかないが、さすが関西人だけあって?残らずすべて持って帰りたいと言うので、二重にした紙袋に詰め込んで持って帰ってもらう。とは言え紙袋に入れて両手で運べる量は知れている。結局Y氏が帰った頃にもう一度やって来てさっき持ちきれなかったものを運ぶことになったが、まだ両手に余ったので今度は手伝うことにした。二人で両手だから、1回目の分を合わせて合計6本の手でやっと運べる量だったわけだ。部屋に入りきるのかちょっと心配だったが、何とか収まったようだ。彼女は大学院に進む予定のため、あと1年はロンドンにいるのだ。
帰宅して、すっかりがらーんとした部屋で最後の手荷物をスーツケース2個に詰める。
2時40分就寝。
2012/03/23(金) 23:22:55 |
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8時50分起床。晴のち曇のち雨。気温12~6℃。
2時間半しか眠れなかったが、集荷に備えて起きて待機する。いつもの朝食を済ませて、手持ち無沙汰なのでハーフコートも含めて衣類を片端から洗濯する。
次第に靴の数が増えて全部は持って帰れないので履いて行くもの以外は処分することにした。
一緒に英国を歩き回った靴第1号
一緒に英国を歩き回った靴第2号
一緒に英国を歩き回った靴第3号
今日からEaster weekに入った。日本でもクリスマスはクリスチャンでなくても祝う(ケーキを食べたり、子供たちがサンタクロースからプレゼントをもらう)ことが広く浸透して年末の行事の一つになっているが、キリスト教ではイースター(復活祭)の方が最も大切な行事かも知れない。
本日のLunchtime LectureではREGがその復活祭の由来やしきたりについて講演することになっているので、間に合えば参加しようと思っていた。しかし12時を30分過ぎても集荷が来ないため、断念せざるを得ない。
掃除したり、捨てるものをまとめたりしながら過ごしていると、ついに15時20分にYAMATOが集荷に来た。段ボール箱3個口と書類を渡す。待つのは長かったが、集荷はあっというまに終わった。とにかく集荷時間帯8時から17時のうち最長の17時までは待たなくて良かったことを多としなければならない。
今夜は17日に引続いて”食べつくしパーティ”第2部で、今度こそ本当に備蓄食品を胃に収めるラストチャンスである。とは言いながらデザート用のケーキやテーブルカバーがないので買い物に行く。
1時間くらいで帰宅して、17時30分頃から料理に取りかかる。もともと料理は嫌いではなかったが仕事にかまけて長い間ほとんどやっていなかったのだ。しかし昨年8月以来何度かこういったホームパーティーのメニューを考えたり、材料の買い出し、調理、そして皆で食べることの楽しさに目覚めたのも大きな収穫だった。
今日の参加者は17日に来られなかった6名で、YURI、MAYA、AKO、SACHIKO、MITSU、NATSUKOと初参加の2名を含めて全員女性となった。もう帰国した人やどうしても都合がつかずに参加できなかった人もいて、都合6回開催したものの結局同期生全員に来てもらうことは叶わなかったが、帰国前にこうしてロンドンで集まれるのは今回が最後だと言うことは間違いない。
Land's Endで買って来たScrumpy(リンゴ酒)で乾杯
先日Penzanceへ旅行したときに買って来たのは良いがこんな重い割れ物を日本まで持ち帰ることもできず、今日鏡開きならぬ栓開きをした。甘くて口当たりが良く、アップルジュースかと思うくらいだがStrong Farm Cyderと書いてあるとおり、その正体は”強いリンゴ酒”。飲み過ぎに注意しましょう!
本日のメニューは冷やしそうめんとおそうざい風和食数品
とにかく食材を片付けるのが目的なので、冷蔵庫等に残っている材料で作った、鮭の塩焼き、だし巻卵、ポークしょうが焼き、白菜と油揚げの炊きあわせ
今日のデザートは手作りの品はなく既製品の組み合わせ
デコレーションケーキ、バニラアイス、黄桃とグレープフルーツのシロップ漬け
いつものように締めは薄茶と和菓子
まだ演奏はできないのにリクエストに応えてケースから出してお披露目したコンサーティーナ
楽器と言うよりも何か手作りの機械のようだ。フィドルと違って習わなくても音は出せるのだ、ボタンを押しながら蛇腹を開いたり閉じたりすれば。ただしキーの配列がわからないのでメロディーは弾けないが・・・
あっという間に21時になってパーティのお開き前の集合写真 何となく女子大の先生にでもなった気分
1時00分就寝。
2012/03/22(木) 23:27:47 |
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6時05分起床。晴れたり曇ったり。気温13~6℃。
7時15分に出発しバスを乗り継いでユーストン駅へ向かう
ロンドンの多くの鉄道駅と違ってユーストン駅の建物は実にそっけない。外観を特徴付けるような意匠や装飾が何もないのだ。
8時10分発のManchester Piccadilly行きに乗る
乗客たちは乗車する列車のプラットフォーム番号が表示されるのを待っている
この列車に乗る
プラットフォームもやはり殺風景で旅の出発駅としての趣がまったくない
席が一つだけ空いていた ただし途中駅のCreweからは予約が入っている
10時11分Creweに到着
ここからは後続の普通列車に乗り換えてゆっくり行くことにした。マンチェスターまでもう少しの距離だが時間は十分あることだし、立って行くのもいやだったので。
17分間の待ち合わせでこの列車に乗った
空いていて良かった
40分ほどでマンチェスターに到着 ここPiccadilly駅は長距離列車の発着ターミナルである
英国の鉄道の主要駅はこういうドーム型天井が多い
この普通列車はカーディフとマンチェスター間を走っているようだ
大きな駅なので発車時刻表もスケールが大きい
乗降客にはかなりサッカーファンが混じっているようだ 特に赤のスカーフやユニフォーム姿は間違いない
鉄道の駅とTRAM(市電)の駅が上下で連絡している
TRAMが3路線に増えたのでスタジアムへのアクセスはたいへん良くなった
今日はOld Trafford駅でほとんどの乗客が降りる
出口の案内表示 サッカースタジアムおよびクリケット場への最寄り駅である
今からどこかへ行くためプラットフォームで待つ人はわずか
駅を出たところから遠くに見える白いスタジアムまではまっすぐ一本道なので迷う心配はない
歩道のど真ん中に移動式トイレット(男性専用)が設置されている 4方向から使える実に機能的なデザインではあるがほとんど丸見えだ!
警察の車両が大挙やって来ている
今日はナショナルダービーの大一番なのでファンの数も最大級ならテンションも半端ではないのだ。
とにかく人の多いこと!
祭の縁日のように売店が立ち並んでいる
今日は警官もフレンドリーで親切だ みんな笑顔である
パブから人があふれている
騎馬警官もスタンバイ中
スタジアムに近づくとますます人が多い
スカーフを売っている人が警官に注意されている? いやいやそんな深刻な様子には見えない
東スタンド
ここから先はアルコール持込み禁止 ゴミ箱をバリケードにして非常線?が張られている
スタジアム内の売店では紙コップでビールが売られているが、スタンドへの持込みは禁止されている。サッカー場でのアルコール対策は厳しい。
マッチ・デー・プログラム(公式パンフレット)売場
奥は南スタンド
1910年にスタジアムが開設された頃の写真
イングランドでは比較的新しいスタジアムに属するが、昔は一部分を除いてスタンドの上に屋根がなかったのだ。
チーム100年の歴史に残るレジェンド3名の群像
ピート・ベスト、デニス・ローそしてサー・ボビー・チャールトン
チケット発売所
今回は、いつも頼んでいる日本のエージェントでも最も人気の高いビッグクラブ同士の試合のためぎりぎりまでチケットの確保ができず、チケットを転送してもらっていると間に合わないので、代わりに送ってもらったメンバーカードを持って自分で発売所に受け取りに行くことになった。ID提示等を求められるかと思ったが幸いカードだけで何事もなく入手できた。
正真正銘のプラチナチケットである
今回の英国滞在中に観られる最後の機会だと思って額面価格プラスコミッションで3万6千円強を支払った。マンチェスター・ユナイテッド対リバプール戦のチケットの価値はイングランドサッカーのファンなら容易に理解できるだろうが、そうでなければきっと目をむくかも?
このスタジアム=オールド・トラッフォードの100年間の歴史が示されている
ランチはチーズとマーマイト(酵母エキスのペースト)のサンドイッチ
賭け屋さんの案内 さすが何でも賭けにするイギリス
こんな軽食コーナーはどこのスタジアムでも同じような景色だ
キックオフの45分前なのでまだ空席が多い
今回の席はピッチに近くてゴールにも近い一番好きなエリアの席だ
30分前にはウォーミングアップが始まった
2002年まで我が京都チームに在籍したパク・チソンがいる
リバプールはフェルナンド・トーレスも含めてほぼベストメンバー
キックオフ5分前のスタンドは既に全員入っている
5分前にはピッチに散水される
こちらが正面スタンド スタジアム全体では8万人近い収容人数があり観客が点々にしか見えない
ファーストハーフが始まった
日本ではまず味わえないこのスタジアムの雰囲気。サッカーがいかに深く社会に根を下ろしているかに比例しているとすれば、やはり英国と日本とでは未だ100年近い差があると思う。
キックオフからわずか5分にリバプールがトーレスのヘッドで先制 幸先が良い
ところがそれから6分後にルーニーがPKを決めて同点
世界最高レベルの試合をこんなに近くで生で観られるのだから来た甲斐があったと言うもの
ゲームの方はセカンドハーフでついにユナイテッドが逆転 決めたのはパク・チソンだ 彼の得点は嬉しいがリバプールの失点と言う意味では悔しい
これだけそばで観ていると選手の声やタックル時の体当たりの音が直に聴こえる
日本では決して味わったことがないが、一つ一つのプレーに対する観客の反応もすごいのだ。何万人もの観客がまるで一つの人格になったかのように一斉に息を飲み、立ち上がり、両手を挙げ、頭を抱え、拍手し、歓声を送り、ブーイングをしたりするのだ。
結局パクの決勝点でユナイテッドの勝利に終わった
これまでにイングランドのいろんなスタジアムで合計10試合くらい観ているが今日の席が一番良かった。リバプールが負けたとはいえ見応えのあるゲームで良かった。
帰りのTRAMの車中
公共の場でのアルコール規制が厳しいせいか、車内はとても静かだ。ドイツだったらビール片手に大騒ぎだろうが・・・
Piccadilly駅に到着
16時35分発で帰ることにする
帰りは無事座れたので直通で18時42分ユーストン着。19時40分帰宅。今日は昨日と違って目的がサッカーだけだったので早かった。
夕食は回鍋肉とごはん
さあ、帰国まであと4日だ。明日は集荷なので明朝までに荷造りと書類を仕上げなければならない。
6時20分就寝。
2012/03/21(水) 23:26:58 |
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6時00分起床。曇一時小雨。気温~℃。
今日は以前から機会を狙っていたリバプールのアトラクションを二つ制覇する予定。
7時15分に出発して7時45分にEuston(ユーストン)駅に到着。
ユーストンは北方面への始発駅
予約済みチケットの発券機 英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語で残念ながら日本語はなし
発車時刻表
この列車だ
鉄道会社Virginの社名ロゴ
8時6分に定刻より1分早く発車
シート番号にAVAILABLEの表示があれば自由席
座れても気を付けていないと発車してから表示が”RESERVED”に変わることがときどきある。
車窓からウェンブリースタジアムが見える
行程の半ばでティータイム
10時14分に終点のリバプール駅到着
このLiverpool Lime Streetはリバプール最大の鉄道駅
乗って来たこの車両は英国としては最も新しい方に属するが・・・
エジンバラやグラスゴー方面へは将来高速列車運転の計画があるようだが、イングランド中部へはどうなるだろうか?
乗客用ラウンジ
荷物預かり所 コインロッカーはあまり普及していない
料金は預ける時間に応じて変わる
鉄道駅の構内によくあるMarks & Spencerの小型食品スーパー
WHSmithはどこの鉄道駅にもたいていある まあKIOSKのような新聞、雑誌、食品等を売る小型スーパー
Lime Street駅の外観 かなり長く周辺の改良工事が続いている
駅前のシンボルマークのタワー
これはツーリストインフォメーション兼ショップ
この大きな建物はマーケットのようだ
St. John's Marketというローカル商店街なのだ
マーケットの2階の通路
肉屋 売り子はネクタイを締めたオジサンたち
ベーカリーも出ている
駅からマージー川に向かうプロムナード 広い通りだが歩行者専用でショッピングを楽しめるようになっている
ランチは駅で買って来たコーヒー牛乳?と屋台で買った熱々のパスティー
これが商品を入れる紙袋で店名にコーンウォールと入っているのはやはりその地域の名物だからだろう
アイスクリームショップの屋台が見える
マクドナルドで食べることは最近ほとんどないが、この店舗デザインと独特の色使いが気になってしょうがない
道標 左手に見所が集まっている模様
アルバートドック
マージー川に面した一角にレストランや商店街が並んでいる。
こんなところにも日本語表示
英語の他の欧州主要4ヵ国に次いで日本人が多いのだろうか?いずれ中国語あたりが加わる日は近いのか?
再開発の際に建物のデザインや色を統一したので落ち着いた印象だが同時にかなり人為的に見える
The Beatles Storyという名のビートルズ博物館兼土産物屋
12時前にGower Streetのツアーの集合場所へ向かう。
これがMagical Mystery Tourのバスだ 事前予約ですでに満席 デザインはジャケット写真そのまま
これはThe Beatlesの縁の場所をバスで巡るツアーだ。路線バス等で回るよりもかなり効率的なようだ。
リバプール大聖堂
Madryn Streetを示す標識
この奥の方にRingoの住んでいた家がある
ビートルズの歌にもなったペニーレーン
歌の冒頭に出て来る理髪店がそのままにあるのだ
次の場所へは道が狭いのでバスを降りてしばらく歩く
Arnold Groveの住所表記
この先は行き止まり
Georgeの住んでいた家だ
Georgeの家の全景
ビートルズの歌にも出て来るストロベリーフィールズ
Johnの家だけにブループラークがあるのは何故だろうか?
Johnの住んでいた家
Forthlin RoadにはPaulの住んでいた家がある
Paulの家だけを説明する現地ガイド
Paulの住んでいた家
Paulの家の前の通り
再び大聖堂の横を通り過ぎる
旅行カバンのオブジェが並んでいる アイルランドとの船便での往来が激しかった昔を象徴しているのだろうか?
これで2時間のビートルズ史跡巡りツアーは終了
バスの後ろ側
ビートルズの4人のシルエット 単純化してあるがこれだけで分かってしまうところが凄い
駅前に戻って来た
土曜の午後のせいかメインストリートはかなりの人出
次はリバプールFCのAnfield(アンフィールド)スタジアムツアーだ。時間の節約のため珍しくタクシーを利用したら、思ったより安くて7ポンド(約1,000円)だった。
KOP STAND(コップスタンド)の表示
Bill Shanklyの像 監督としてそれまで低迷していたチームをイングランドリーグのトップクラスに育て上げた
ゴミ箱はスポンサーのビール会社の缶ビールをデザインしてある
歴代の名選手たちの写真
ショップとツアーチケットの売場がある
ガイドツアー料金は14ポンド(約2,000円)。ガイドは英語のみ。15時15分スタートのツアーに入れた。
LEGEND レジェンド即ちクラブに大きな貢献をして人気のあった選手や監督専用のラウンジがある
ガイドは場所毎に交替する
スタンドの説明を聞いているところ 場所場所の分業制になっている?
スタンドからピッチ全体を望む
優勝記録 リバプールはイングランドリーグでも一、二を争う優勝回数を誇るチームなのだ
ドレスルームではお気に入りの選手のユニフォームの前で記念撮影
試合後にテレビのヒーローインタビューを受ける場所だ
画面ではわからなかったがこんな狭いところなのだ
プレスルームを専門に説明するガイド
左端の席にはベニテス監督(の写真)に代わってユニフォーム姿で参加した熱心なファンが着席させてもらっていた
”THIS IS ANFIELD” リバプールの選手たちは試合開始時にこのプレートにタッチしてピッチに入って行く
スタンドはかなりの急勾配に設置されている
見渡す限り空のスタンドは奇妙な感じ
ツアーの待ち時間にショップで買った記念のソックスや小物を手にバスで駅まで戻る。
熱々のパスティを売るスタンド
また買ってしまった
Eustonへ帰る列車の発車時刻表示
17時48分発の列車で20時00分Euston着。21時過ぎに帰宅。14時間の日帰り旅行だった。
夕食は赤飯と一昨日のチキンのインド風煮込みの残り
これまでの11ヵ月間に1万枚を超える写真を撮ったのでそのメモリーを整理する
1時45分就寝。
2012/03/20(火) 23:26:15 |
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7時05分起床。晴のち雨。気温12~8℃。
明日からの最後の週末はLiverpoolとManchesterで過ごす予定なので、いずれかでの宿泊を考えていたのだが、どうも列車で2日間日帰りにした方が安上がりなようなので、列車のオンライン予約をする。
まずVirgin TrainsのEustonとManchester間往復を43.7ポンド(約6,100円)、同じくVirgin TrainsのEustonとLiverpool間往復を45.7ポンド(約6,400円)で購入。
次にLiverpoolのThe Beatles関連の人気アトラクションである"Magical Mystery Tour"を14.95ポンド(約2,000円)で購入。
それからYAMATOへ電話して別送品の集荷の依頼をする。週明けの22日ということは決まったが、集荷時間は何と8時から17時の間!だって。郷に入れば郷に従え、を地でいくかの如く、日本の会社でもイギリスに入ればイギリス式になる。最悪の場合はまる1日待たないといけないわけだ。まあ文句を言っても始まらないけどね・・・
もう使わない書籍やノート、CD/DVDを段ボール箱3個分できるだけすき間のないよう重さが偏らないよう慎重にきっちりと詰めていく。これらは持ち主より先に出発して後で到着ことになるのだ。苦楽をともにした品々なのでぜひ無事に届いてもらいたいと思う。
午後、TubeでOxford Circusまで出かけ、Lloydsの支店へ向かう。住所変更手続のためだ。日本のような通帳は初めから存在せず、代わりに入出金記録が4半期ごとに印刷して自宅に送られて来るのだが、しばらく口座を残しておこうと思い、住所変更をしたのだ。開設時のような個室ではなく、カウンターで担当者に口頭で伝えるだけで完了。こちらに住んでみて、カルチャーギャップを感じさせられたことは多々あったが、銀行はその最たるものの一つだ。
その後、しばらく映画に行っていないことに気付き、Finchley Roadまで戻ってVUEで17時20分からの”Crazy Heart”を観る。1月中に観た15本を含めて8ヵ月間に30本目だ。
主演のJeff Bridgesのことは、数十年前のまだ学生だった頃に毎週土曜のオールナイト上映を観に通った映画(B級西部劇等)によく出ていたのを今でも覚えている。当然あの頃とはまったく雰囲気も違う落ちぶれたどさ回りの老ミュージシャン役だが、非常に役にはまっていて良かった。
夕食は麻婆豆腐、サラダ
0時50分就寝。
2012/03/19(月) 23:25:27 |
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7時30分起床。曇一時晴。気温17~6℃。
明治という時代は、日本の政治、経済、社会、産業、文化を始めとする大革命の時代であった。もちろん歴史上その他の時代にも傑出した人物は枚挙にいとまがないが、青壮年期に20世紀を迎えた明治の日本人の中で特に異彩を放っている一人に”南方熊楠(みなかたくまぐす)”がいる。夏目漱石、正岡子規、”坂の上の雲”の秋山兄弟らと同時代の人だが、日本の大学へは進まず20歳で渡米して植物学の研究(標本採集)を続け、25歳からイギリスに居を移して一時期British Museum勤務を含めて8年間過ごした。
漱石が官費留学生としてロンドンに向けて横浜港を出発する1週間前に熊楠もロンドンから日本へ帰国の途についているため二人がロンドンで会うことはなかったが、熊楠は研究者としての評価と孫文を始めとする数多くの友人をロンドンで得た。
日本では1980年代以降に熊楠の再評価が始まったが、それ以前には一般に広く知られているとは言えなかった。このBLOGのプロフィールに書いたように学生時代は生物学を専攻していた関係で、毎年夏になると1週間ほど南紀白浜にある京都大学の瀬戸臨海実験所を借りて泊まり込みの臨海実習があり、附属水族館に隣接した南方熊楠記念館に行っては粘菌やシダ類の標本とか彼の在野の研究生活の様子を垣間見てただただ圧倒されたことを思い出す。
そこで帰国する前に一度熊楠の住んでいた場所を訪ねてみようと思ったのだ。漱石を思い出すまでもなく恐らく8年間同じ場所にいたわけではないだろうが、インターネットで知り得たフラットがケンジントンに現存するためそこへ向かった。
住んでいるフラットの前から328番のバスでHigh Street Kensingtonまで21分と書いてある
実際には渋滞でその倍近くかかったが、13時20分に到着。
駅近くにある”ZAIKA”というモダンインド料理レストラン
数年前に偶然入って以来好きなレストランの一つだが学生向けの値段ではないので、今回の滞在中は一度も行っていない。
ランチはアメリカ発祥のオーガニックスーパー(と言うのかどうか知らないが)WHOLE FOODS MARKETのKensington店で
Piccadilly Circusの近くにもあるがそちらはずぅっと小規模店だ。しかしこちらはTubeの駅にも近く、3フロアを占めてかなり広いのだ。
First Floor(2階)には各国料理のカフェテリアがある。当然のように寿司店もある。
夏までよく通っていた大学のカフェを思い出す光景
ブリトー(メキシコ料理)売り場
ランチはフィッシュタコスと缶入ドリンク2本 プライベートブランドのドリンクは非常に味がしっかりしていて美味しい これだけで6.77ポンド(900円強)
揚げたてのフィッシュフライは衣はサクサク、中はほっくりしてとても美味しい
一息入れた後、Kensington High Streetから左折して南方向へ歩く。
Muffin Man(マフィン専門店)は満席 興味を惹かれるが今食べて来たばかりなのでパス
この通りを右に入ったところにフラットがあるはず
通りの名前を確認
右側に白っぽい建物が並んでいる
Blithfield Street 15番地 このフラットだ
ここが熊楠の住んでいたフラットだがブループラーク等は無し
行き止まりなのでここから引き返す もう一度左側の建物の緑のドアをしっかり見ておく
Kensington High Streetから9番のバスでGreen Parkへ。日本国大使館(総領事館)に立ち寄って帰国届を提出。ウェブサイトからでも届出はできるのだが、滅多に訪れる用もないことなので記念?に直接提出した。
17時にいったん帰宅。LEEレトルトカレーを食べてから再度出発。
18時30分からCambridge Examクラスに出席。来週の2回で終了なのだが、25日には帰国するため今日が出席できる最後の日。しかしもう既に気分的には帰国の多忙感が優っているので、それほど名残惜しいような感覚は覚えず。帰り際に講師のGALEとほぼ半年間二つのクラスを続けて一緒だったNIKOLAIに別れの挨拶。
21時過ぎに帰宅。
夕食はお気に入りのMarks & Spencer版インド料理をメインに
サラダとご飯で
今日が滞在330日目。来週の今頃は国際線の機中にいるなんて未だ信じられない。
0時35分就寝。
2012/03/18(日) 23:24:41 |
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7時15分起床。曇一時晴。気温15~4℃。
9時20分に出発。TubeでPiccadilly Circusまで行きロンドン三越の中にあるヤマト運輸のオフィスで段ボール箱を買う。日本だと近くのスーパーからもらってきたもので済ますこともできるが、引越荷物といえども手続上は輸出入品の扱いとなるのですべて慎重に行わなければならない。個数と重さの両方でカウントされて結構な料金となるので、思い出に持って帰りたくてもあまり重要性の高くないものはあきらめて捨てることにする。
段ボール箱自体が日本に比べるととても高価なので中サイズ2個、小サイズ1個だけにする。それだけで10ポンド。添付用書類、申告書、送り状の書き方案内等も併せて入手する。
持ち歩くにはかさばり過ぎるのでいったん帰宅。まだ少し時間があったので洗濯をする。
12時20分過ぎに再び出かけ、Regent校舎へ。Lunchtime Lectureの"The Great English Pop Song"も今日がこの1~3月シリーズの最終回だ。昨年4月頃とは受講生の顔ぶれもすっかり変わっているが、講師のHughは相変わらず絶妙の話術で皆を引き込んで行く。今日の題材はThe Beatlesの"You've got to hide your love away"。Beatlesの"You can work it out"で始まったロンドン生活の最後もまたBeatlesで飾ることになるとは本当に感慨無量だ。
SACHIKOも参加していたので講義終了後にシャッター押しを頼む。
Hughとのツーショット
今夜は”食べつくしパーティ第1部”を予定している。フラットを退去する前に、備蓄している食料品を片付けなければならないからだ。ただ皆、帰国が迫っているためなかなか都合が合わず、2回に分けることにした。第2部は22日の予定である。
メインはそうめんと天ぷら(海老、さつまいも、にんじん、玉ねぎ、コーン)。赤飯、大根とお揚げの炊き合わせ、デザートに3種のベリー入ゼリーとバニラアイスクリーム、薄茶と和菓子で締め。
そしていつものように記念写真
新聞の天気予報欄を見ると、今日は日出が6時08分で日没が18時08分、つまり昼夜の長さがちょうど一致して、明日からは昼の方が夜より長くなるという転換点だったのだ。
1時35分就寝。
2012/03/17(土) 23:24:02 |
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6時45分起床。曇のち快晴。気温13~2℃。
9時45分に出発しOvergroundに乗ってフィドルレッスンに行く。半年前から週に1度のペースで続けて来て今日が19回目でありラストレッスンでもある。まったくの未経験者が(人前で演奏できるまでには至らなかったが)一応曲らしきものを弾いて自分で楽しむまでできるようなれたのは指導者のPeteの楽しい教え方のおかげだと思う。
もっとも今日がラストと言うわりにはことさら感慨深いという感じではなかった。その理由は10日後には2人とも日本にいて彼は東京~長野~大阪~京都を巡る演奏ツアーを予定しているからである。帰宅した翌々日には大阪でのソロコンサートに行く予定をしているので、場所こそ異なるもののこれまでとあまり変わることなく”See you next week! じゃあまた来週!”という感じなのである。
しかしこのフラットを訪ねるのが最後になることは確かなので記念写真を撮る
11時30分に終了し、いつもの道をゆっくりとCrouch Hill駅へ向かう。夏の終わり頃の爽やかな日差し、紅葉の美しい秋、坂道が氷に覆われて滑らないようにするのがたいへんだった冬、何気なく19往復して来た道筋にもたくさんの思い出が残った。
Crouch Hill駅プラットフォーム 殺風景だが何か雰囲気のある駅だ
12時15分帰宅。
ランチはきつねそば
帰国まであと10日となったため、そろそろ荷造りの準備をしなければならない。
一番大切な荷物は何かと言えば、やはり授業で使った教科書を含む書籍とノート類そして買い集めたCDとDVDだ
観光ガイドブックも混じっているが・・・
それに地図やパンフレット類も
CD/DVDは極力抑えて来たつもりだが80枚近く買い込んでしまった
これはケースに入ったままのConcertina(コンサーティーナ)
昨年8月のWhitby Folk Weekで名手Alistair Andersonの演奏するその至上の音色に聴き惚れて思わず買ったものの、とうとう練習の機会がないままになった。
レッスンの問い合わせに対するPeteからの返信メールが届くのがもう1週間でも遅れていれば、ひょっとするとフィドルではなくこの楽器のレッスンに踏み切っていたかも知れない(後で知ったのだが90歳を超えたご尊父が危篤となりイングランド中東部の実家に帰っていてメールの受発信ができなかったためらしい)。
しかしこのバイオリンにしても京都の古道具屋で見つけて衝動買いしたのは相当昔のことで、半年前に初めて自分で音を出して曲が弾けるようになるまで四半世紀くらいはかかったのだから、この楽器の練習を始めるのは10年先でも良いか、と考えよう。
こちらはロンドンでついに陽の目を見ることになった愛用のフィドル
15時に再度出発してICCオフィスを訪ねる。昨日の夕方、日本から手紙が届いているというメールを頂いていたのだ。それはもう確認するまでもなくBob Dylanのチケットだ。2月22日に書留で発送されたものがどうして1ヵ月近くもかかったのかは謎のままだが、とにかく届いて良かった。
これで、3月26日に成田に到着するという帰国スケジュールが初めて意味のあるものとなったのだ。
いったん帰宅して夕食はレトルトカレー
その後、今日3度目となる外出はtubeでOxford Circusへ。
18時30分からCambridge Examのクラスに出席。正直なところ3月6日に本番テストを受けてからはもはや気が抜けたような感じであるが、日程の許す限り受講を続けたい。
22時10分帰宅。夜食はお茶漬け。そしてしばらくぶりにSabo(ヘアカッター)を使って自分で散髪をする。
1時05分就寝。
2012/03/16(金) 23:22:49 |
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7時00分起床。快晴のち曇。気温13~2℃。
旅行などのためすっかりサボっていたフィドルの練習をする。その後近くのスーパーで食料の買い出し。ミネラルウォーター、ミルク、チーズ、オレンジジュース、ヨーグルト、パン、とほとんど朝食用のものばかりだ。
16時に出発して、打ち合わせ通り16時30分にOxford Circusの角でSACHIKOと落ち合う。今日はQueens Theatreにミュージカル"Les Misérables"を見に行くのだ。ちょうど2ヵ月前の"We Will Rock You"がロンドンでは初めてのミュージカル体験だったのだが、帰国前にもう一つくらいは見ておこうと思ってチケット入手を頼んでおいたのだ。サッカーの試合なら自分で入手できるが、ミュージカルチケットは専門外?なので慣れた人に頼むのが手っ取り早い。
入手方法には1)劇場のウェブサイト、2)オンラインのチケット売買サイト、3)Piccadilly Circus近辺に数多ある大小のチケットショップ、4)tkts(公式ディスカウントセンター)、5)上演される劇場のチケットカウンター、等があるが、どの方法が一番安くて良い席を入手できるかは、日常的に価格や流通状況などをチェックすることで十分な勘と相場観が養われていないと最善の選択はできない。そういう理由からこの半年で既に百数十回もいろいろな演目を観に行っているというSACHIKOに頼むのが必須と言える。
結局数日前からのリサーチによって、5)の方法で当日券を狙うのが最善だろうということに決めたらしく、まずはChina Townの"人民公社"というレストランで夕食。1月にTAROと入った表通りのレストランは随分高かったが、ここは路地に面したロケーションのせいか予想よりも安かった。
食事の終わる頃、SACHIKOがここから目と鼻の先にある劇場まで行って当日券を手に戻って来た
27.5ポンド(約3,800円)。中央より後ろだが見易い位置で、この価格はとてもリーズナブルだそうだ。外国のオーケストラ等でも同じことだが、もし来日公演ともなれば軽くこの数倍はするのだろう。
これで開演時間まではゆっくりできるので、近くのCOSTAでコーヒーを飲む。
19時30分の開演の少し前にQueen's Theatreへ。6年前からここに移ったらしいが、初演から一度も途切れずに25年間休みなし(日曜は休演)で上演しているというのはいくら何でもすご過ぎる。それも月曜から土曜までマチネーも含めて毎週8回ずつ上演しているのだから。
Queen's Theatre
Les Misérables
日本ではニューヨークのブロードウェイがミュージカルの代名詞のように有名だが、ロンドンが初演で、上演回数も多い演し物もたくさんある。レ・ミゼラブルもその一つだ。ストーリー自体は小学校か中学校のときに読んだ記憶があるが、ミュージカル版の音楽は今まで意識して聞いたことがなかった。
しかし昨年の今頃"Britain's Got Talent"というテレビの視聴者参加番組から彗星のように現われて話題となったスコットランドの田舎町在住の女性Susan Boyleが一躍有名人になるきっかけとなった曲"I Dreamed A Dream"もこのミュージカルの劇中歌の一つである。とにかくどの音楽も良いし、各配役の力量も申し分ないし、ストーリーは良いし、たいへん感動的だった。"We Will Rock You"の方はクイーンの音楽の良さが魅力の大半を占めていたが、"Les Misérables"はすべてにおいて完成度が高いと思った。世界最長のロングラン公演中というのもダテではないのだ。
22時21分終演。Tubeを乗り継いで23時過ぎに帰宅。
1時40分就寝。
2012/03/15(木) 23:02:46 |
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7時00分起床。快晴のち晴。気温12~4℃。
今日は約1ヵ月ぶりにCultural Programmeの"In the London footsteps of Karl Marx"(カール・マルクスのロンドンの足跡巡り)に参加する。今年になって2度目で恐らく最後の参加となるだろう。今日を含めると29回参加したが、このウォーキングツアーには皆もっともっと参加するべきだと思う。
4月のオリエンテーション時に4~6月分の予定が書かれた冊子を配布されたものの、その後通年実施されているにも関わらず、ほとんどの学生はそのことを知らない。しかし個人的にはこのイベントのおかげでロンドンでの1年がどれほど充実したものになったか計り知れないと思う。
忙しい観光客のための在り来たりのツアーやガイドブックとは観点の異なる本当のロンドン(および郊外)の見所を専属ガイドとともに訪ねることができるだけではなく、一緒に歩くことをきっかけにして知らず知らずのうちに多くの国の友人ができるというまことに素晴らしい企画だからだ。University of Westminster留学の隠れた売り物の一つと言っても良いと思う。
REGとMAKIKOを発見 集合時刻の10時より30分近く前に着いたのでまだほとんど集まっていない
Sloane Square Station(スローン・スクエア駅) 今日はCircle line、District lineとも全面運休なので当駅は休業
これは地名の由来になったSir Hans Sloane(サー・ハンス・スローン)の像
アイルランド出身の医師であり、彼が生涯をかけて集めたコレクションが大英博物館の基礎になったと言われている。また、インターンシップ先のCORAMの前身であるFoundling Hospitalの創設にも一役買っていたらしい。
今日も青空のウォーキング日和
中央に見える帽子とコート姿はコロンビアから定年退職後ロンドンに学生としてやって来たCARLOS
まったく異なる人生を送って来たもの同士がここで接点を持つなんて多くの偶然が積み重なった結果とは言え、ほとんど奇跡的だ。彼とは年齢まで同じなのだ。
通り名の表示
ブループラーク
1851-56年にここに住んでいたと記してあるが、ロンドンに亡命して来たのは1849年なのでその2年後から5年間ということだ。その後亡くなるまで人生の後半生をロンドンで暮らしたのだ。
MARXと言う名のレストランがある
正確にはレストラン自体の名前ではなく、QUO VADISというレストランの中のMARX ROOMという貸切部屋の名である。
こう言う形の自転車専用道路はロンドン市内にはまだ少ない
ハイゲート墓地へのアプローチとなるWaterlow Road
ハイゲート墓地に隣接するWaterlow Park
花がたくさん咲いている
ランチは公園内のカフェで
ランチと言うよりティータイムのようになった
この後、セレモニーの開始時間に合わせるため1時間ほど時間調整をする。
ハイゲート墓地の入口 入場料は3ポンド(学割あり)で墓地と言うより公園のようだ
入場料を払って墓地内のウォーキングをする人や著名人の墓石巡りをする人などさまざまである。
お目当てのマルクスの墓 全身像ではなく大きな頭部の像が乗っかっている
<内緒:身体がすっぽりかま風呂に入っているように見えなくもない!>
"WORKERS OF ALL LANDS UNITE"とは、彼の著書「共産党宣言」からの引用で”万国の労働者、団結せよ”
足下にもマルクスの言葉 ”この世界を解説するのではなく変えることこそが大切なのだ”
1818年5月5日に誕生、1883年3月14日に死去
亡くなってから今日で127年目となる。
追悼セレモニーの参列者によって花が供えられた
いろんな国から参列者が集まり、そして去って行った
セレモニー終了後、墓地の外周道路を歩いて最寄駅に引き上げるところ
ロンドンにはいったい何匹の野生リスがいるのだろう 特にこんなに木が多い場所であればここだけでもかなりの数だろう
MGミジェット やはりイギリスの街を走ってこそ最も似合う車である
Archway駅まで歩いてそこで解散ということなので、ここで一団とは別れて近辺を一人で歩く。
ハイゲート墓地南入口
約10ヵ月前に最初のホームステイ先が近かったことから一度ここまで来たことを思い出した。後でわかったのだが、この墓地へ入れるのは有人のゲートがある東部の正門だけなのだ(入場料徴収のため?)。
この家が昨年4月23日から5月末まで滞在したホームステイ先 もうずいぶん昔のことに思える
次は場所も雰囲気も変わって
来る3月17日はアイルランドの守護聖人である聖パトリックを祭るSt.Patric's Dayだ。今日は直前の日曜日なのであちこちで関連催しが行われている。カトリックのアイルランド人ばかりでなく、イギリス人もその他の観光客も皆お祭り気分で街に繰り出す。
ここTrafalgar Squareにも多くの人が集まって来ている。
アイルランドの3色旗が見える
家族連れ? ベビーもシャムロックを左手でしっかりと握っているところが微笑ましい
魚料理の屋台だ
メニュー
エビとチップス(フライドポテト)、ポークソーセージとチップスの他、チップスだけというのもある。"CHIP BUTTIE"とはバターを塗ったパンにチップスを挟んだもの、つまりフライドポテトのサンドイッチ!である。そんなものは他の国にはないだろうなあ。
アイルランドのお祭りなので当然アイルランド料理が主役?
"DUBLIN CODDLE"はソーセージとポテト、にんじん等の薄切りを重ねて煮たもの、ソーセージシチューと言ったところだ。
それにしても、もの凄い混みようである
コンサートも行われている
人混みの中に長くいると疲れるので、いつもならこの近くにあるはずのバス停の移動先を探してバスで帰宅。
夕食は春巻き、エビフライ、コーンバター、サラダ
0時15分就寝。
2012/03/14(水) 23:01:37 |
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7時15分起床。快晴一時曇。気温9~4℃。
朝食の始まる7時30分に食堂に行くと案の定一番乗りだった。
食堂のすべての席に食器がセットされている 昨日チェックインしたときは運良く部屋が空いていたが、ほどなく満室になったようだ
目を転ずれば大型ブラウン管テレビとソファがある
客室番号と同じ番号がテーブルに表示されている 英国の旅の朝には欠かせない典型的なフルイングリッシュブレックファスト
8時25分にチェックアウト。宿泊料の30ポンドを払い、着替等の入った荷物は夕方まで預かってもらう。
朝の駅前
駅前バス停にある道標
Minack Theatre(ミナックシアター)を経由するバスは2本しかないがこれには乗らない
申し分のない天気の下、8時43分501番のバスでいざ出発
市街地の通りは日本と同様に狭い
おまけに住民は路上駐車を許可されているため道路の半分近くは駐車車両で埋まっている
英国の田舎によくある道 両側にぎりぎりまで木が迫っていて普通の車だとまったく見通しが利かない 2階建てバスの2階からはよく見える
長く曲がりくねった道(Long and winding Road)が続く
Porthcarno(ポースカーノ)地区に到着 Minack Theatreのある場所だ
ここからMinack Theatreへはバスの進入不可
Porthcarnoバス停 帰りはここから乗れば良いのだ
2階最後部で寝ている人を1名発見 乗客は最前部で夢中になって写真を撮っている自分と多分夜通し飲んで朝帰りの人と2人だけなのだ・・・
牛がたくさんいる
馬の調教中
どうやら目的地が見えてきた
9時30分とうとう着いた これが英国最西端の路線バスの停留所だろう まさにLand's End(地の果て)
2階建てバスだからたくさん乗れるのだがここからの乗客はゼロ
Minack Theatreに寄って帰るにはこの路線バスを使えば良いが11時40分発の1本しかない
まっすぐPenzanceまで帰るのなら経路は異なるが別の会社の路線バスもある オフシーズンでもGreyhoundの2路線と合わせて毎日11本もあるということはそれだけ地元のニーズがあるのだろう
遠くに民家が見える
すべての窓が塞がれた建物 何に使われていたのだろう?
これが岬の先端への入口のようだ 砦のような建物
英語、コーンウォール語、ドイツ語、イタリア語?、フランス語、スペイン語、そして日本語!
ちょっとテーマパークの入口のような作りだ
トイレットの個室一つが随分広い
"税関"の表示 昔はここから大西洋への航路があったのだろうか
英語、ドイツ語、フランス語そして日本語 4ヵ国語表記のうちの一つとは日本はえらく大した扱いだ 訪問客はそんなに多いのだろうか?
どうやら開いている売店はここだけ Tシャツを2.99ポンド、絵はがきを10枚2ポンドで買った
本場のコーニッシュパスティ店、だが閉まっている
防風展望室?
ブリテン島最北端のJohn O'Groatsを指し示す道標
John O'GroatsからLand's Endまでブリテン島の縦断に成功した人達の写真
ガケ危険!
このくらいの崖を見てもアラン諸島のドゥーン・エンガスを見た後ではそれほど凄いとは思わなくなった・・・
観光地でおなじみの望遠鏡
"しゃべる望遠鏡" 景色の解説が音声テープで聞ける仕組みらしい
コイン投入口:英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語そして日本語のナレーションがあるようだ
50pと1ポンドで見ることができる時間の長さが違う
通りがかった観光客にお願いして記念写真を1枚
ここでは"FIRST & LAST"がキーワードのよう
しかしシーズンオフのため休業中
吊り橋
吊り橋は通行禁止
さすが英国、注意書きにも丁寧な表現を使っている
一番高くて見晴らしの良いところに立派な建物がある
美術館の表示もあるが
休業中 オフシーズンにはほとんど観光客が来ないため?
郵便ポスト
使用停止中
展望レストラン
こちらも開いていないようだ
現在気温は10℃ 風がとても冷たいので体感気温は5℃以下
アイスクリーム屋も休業中
ホテルとバーも休業
"The End to End Story"入口 入場無料
End to Endの道標 スコットランドのJohn O'GroatsからここLand's Endまで874マイル(約1,400km)
1,153,680人が両手をつないで並ぶと両端を繋ぐことができる
初踏破の記録
ジャガーによる踏破一番乗り
オートリクシャーでの初踏破 何でも初めてやれば記録に残るというわけだ
全区間踏破のスタートとフィニッシュを示すライン
ランチのパン
もう一つ
ほとんど店が開いていないため、かなり時間を持て余した。ようやく11時40分発の504番のバスで出発したが、わずか10分でMinack Theatreバス停に到着。
Penzanceまでの往復チケットでは途中下車できなかったので、追加料金1.6ポンドを払って降車
入口への方向を示す案内表示はこれだけ
このすぐ先に劇場があるとは想像できないような景観
ここがMinack Theatreへの入口
学生と60歳以上は入場料2.2ポンド(約300円)
劇場とビジターセンターの案内
この劇場を独力で作り上げたRowena Cade(ロウィーナ・ケイド)の生涯が書かれている
綿糸工場を営む中流家庭で生まれ育った後、劇に使う衣装作りをするうちにシェークスピア劇のための野外劇場を自分で作ることを決心して、花崗岩の加工技術を持った庭師一人の助けを借りながら資金も労力もすべて独力で作り上げた。1932年の"テンペスト"の初演以降、拡張工事はその後も絶え間なく続き、80歳を超えて劇場を慈善団体に寄贈した後も建設から手を引くことなく89歳で亡くなるまで常に次の計画を練っていたと言う。
演劇が好きで自宅の庭を野外公演に提供した時から、まったく機械の助けも借りずに手作業で現在のような広大な劇場にするまでどれだけの努力を要したのか想像を絶する。
成人した頃のロウィーナ
戯曲用の衣装デザインを手がけていた
工事に取りかかった頃
"素手"で石を運ぶロウィーナ
手押し車に座って読書する85歳のロウィーナ
全体構造図 断崖を利用して作られていることがわかる
劇場全体の模型 これだけのものが個人の力で作られたとは!!
劇場のある場所まで下りて行く階段
最上部から舞台を見下ろす
急階段が続くので気を抜けない
足下を見るといかに急勾配かがわかる
階段と座席の勾配を横から見る
日本ではほとんど見られないが英国などではこうして子供に綱を付けている人をときどき見かける 合理的だが飼犬扱いのように見えなくもない
舞台
これも舞台の一部
舞台のすぐ後ろは断崖絶壁
ステージから階段を見上げると本当に高くて圧倒される
ベランダも備わっている すべて石造りだ
階段も一段一段デザインに凝っている
見事な装飾の観客席
Twelfth Night(十二夜)の上演記録
映画化されて日本でも公開されたトマス・モアの生涯を描いたA Man for All Seasons(邦題:わが命つきるとも)の上演記録
さて今年の演し物は?
急坂の中ほどでは階段が入り組んでいる
劇場ができるまでは対岸のように岩だけしかない場所だったのだろう minackとはコーンウォール語で岩だらけの場所を意味するそうだ
売店に併設されたカフェで一服する このメニューには英国のティータイムに必要なすべてがあるような気がする
コーヒーで一息つく
座った席の前にはガラス窓越しに海と崖
バス停のあるところへはこの坂道を下る
虎杖(イタドリ)が侵略種になってしまって集中的に駆除されているのだ 確かにアジア原産種ではあるようだがJapaneseという名称になったのは日本から英国に鑑賞用として移植されたためなのだとか
坂道をバス停のあるところまで下ったところ
白亜の博物館
電信博物館 ビクトリア朝時代のインターネットだって
オフシーズンはなぜか土曜と日曜ではなく日曜と月曜のみ開館!残念でした
13時50分のバスに乗る。実際には48分に発車してしまったから、この辺では余裕を見ておかないと乗り遅れる。
バス同士の交換 狭い道を行き交うときは自分が運転していなくてもドキドキする
ペンザンスまで5マイル
フィッシュアンドチップスではなくチキンアンドチップスって看板に書いてあるのは初めて見た
ペンザンスの街に入ると土曜日の午後のためか結構賑わっている
右手前方に駅の表示が見える
14時33分に終点Penzance駅前に到着。
B&Bに立ち寄って朝預けておいた荷物を受け取る
今日はローカル線で帰途につく
このローカル列車に乗る
実は発車までまだ少し時間があったので何か食べるものを買って来ようかと思ったが止めた。ところが乗り込んで間もなく発車したのには驚いた。時刻表より5分も早かったので。まあ遅れることもあれば早まることもあるのでプラスマイナス10分くらいは気にしない方が良いだろう!
2分ほど走ったところでセント・マイケルズ・マウントに最接近
1時間でSt. Austell(セント・オーステル)ここがエデン・プロジェクトの最寄り駅なのだ
どこかで見たことがある橋だなあ、と思ったらブルネルが設計したエジンバラの鉄橋と同じデザインだ
ちょうど2時間でPlymouth(プリマス)駅に到着
ここで急行列車に乗り換える予定だったが、すべて運休になっている。まあ旅にはこんな予定外のことも起こりうる。しかし係員の説明がどうも一貫しないようで、途方に暮れた乗客たちは急に外へ向かって走ったかと思うと、またプラットフォームに戻ったりで何が何だかよくわからない。結局代行バスでどこかに連れて行ってくれるらしいことが判明。
この間15分くらいだったから、まあ良いとしよう・・・
代行バスの車内
ハイウェイをひた走る どこまで行くのだろう?
1時間弱でTiverton Parkway駅に到着
次のPaddington行きは定刻通りすぐ来そうだ
Paddington行きの急行列車が来た
これに乗ればもう安心なので紅茶とクッキーで一息つく
ついに20時36分Paddingtonに到着。Tubeとバスを乗り継いで21時過ぎに無事帰宅。短くも充実したコーンウォールへの旅だった。
0時30分就寝。
注)膨大な数の写真の整理に手間取ったため1日遅れになってしまいましたが、すぐに追いつきます。
2012/03/13(火) 23:02:12 |
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6時50分起床。曇のち晴。気温8~2℃。
窓のカーテンを閉めていると夜か朝かわからないが、7時前に目が覚めて通路へのドアを開けると既に明るくなっていた。
通路を進行方向に向かって見る 左の窓の外が明るい
長距離夜行列車らしく車両の端に複数のトイレットがある
車窓から緩やかな起伏のある朝の田園風景が見える
窓を開けるとすっかり朝になっているのがわかる この窓の真下のデスクを上げると洗面台が現れる仕組みだ
昨夜乗務員が注文を聞きに来たのだ頼んでおいた朝食セットが7時8分に届いた 選択肢はメインが2種からであとコーヒーまたは紅茶だ
紅茶はポットサービスで紙袋の中にはパン1個
パンの中にはベーコン ベーコンサンドイッチだ
思った以上に美味しかった。まだ到着まで1時間近くあるので、もう一度ビデオでサッカーを見る。
2007年3月31日のリバプール対アーセナルの試合
リバプールの2006/07年のメンバー 今はもう在籍していない名選手の名前も見られる
アーセナルの2006/07年のメンバー こちらはさらに既に移籍した選手が多いことがわかる
しかしリバプールが勝った試合しか入っていないということは、もしアーセナルのファンだったら見るメニューがないが構わないのだろうか?ひょっとするとこの車内ビデオサービスメニューを作っているのはリバプールファンなのかも。
車窓から海が見えるようになってきた
7時54分Penzance(ペンザンス)に到着 ここが英国最西端の駅だ
First Great Western鉄道の終着駅だ
客車を牽引して来た重連DL(ディーゼル機関車)
機関車に名前がついている 近郊の古城の名前のようだ
2両目の機関車にも別の古城の名前が・・・型番ではなくひとつひとつに固有名詞がついているのは素晴らしい
まさに終着駅 ここから先には線路がない
車止めの裏には歓迎メッセージが彫られているが英語とコーンウォール語か?
ペンザンス駅は左の建物の中にある中距離路線用の1~3番線とナイト・リビエラが到着する手前の4番線で構成されている
まずは今夜の宿を駅前のツーリスト・インフォメーションで探そうと思ったのだが・・・
何とスタッフ会議のため本日休業
ガラス窓にはB&Bの情報が掲示してある
駅の構内にあるカフェで熱いコーヒーを飲みながら考えることにした コーヒーは1.4ポンド
朝から甘そうなケーキも並んでいる 美味しそうだが止めておく
店の奥に何台かパソコンがあってインターネットを利用できるらしい。そちらで調べることにした。
コーンウォールの概略図
インターネットでB&Bは簡単に検索できる 駅のすぐ近くに何軒かありそうだ
Eden Project(エデン・プロジェクト)も名所の一つ 桁外れの規模の温室植物園らしい 今回行けるかどうかは微妙
Minack Theatre(ミナック・シアター) これは明日行けるかも知れない
インターネットアクセスための回線利用料は秒単位で払う体系で、わずか1.25ポンドだった。
早速駅の裏側の市街中心部へ出るとHotelやB&Bがすぐに何軒か目に入った
インターネットで見つけたCarnson Houseに空きを聞くと即OKだった。料金は30ポンドだ(後払い)。
室内は広くはないが1夜を過ごすのには十分
テレビが随分高い位置にぶら下げられている 他に置く場所がないのかそれともベッドから見やすくという配慮なのか?
窓の横には洗面台
共用シャワー室は部屋の向かい 夜行の疲れを洗い流す
Land's Endへ行くのは明朝の予定だがバスの時刻表を確認しておく 1日に4本しかない
今日は近くを回るつもりで、とりあえずその辺をちょっと散歩する。
夥しい数のヨットが係留されている
セント・マイケルズ・マウントを遠くに望む 最寄りの海岸から干潮時のみ歩いて渡れるらしい
釣り船?が干潮のため水上に露出している
コーニッシュ(コーンウォール風)アイスクリーム屋 アイスクリームは四季を通じて人気があるようだ
半島の北の海岸線にあるSt.Ives(セント・アイヴス)へ行ってみることにした
バスの車内 オフシーズンの定期路線バスだから乗客はほとんど近隣の住民ばかりのようだ
約30分でバスの終点
丘の上のバス停から家々を望む
バス停から通りをどんどん下る
さらに下る
急坂が続く
町役場があった
町役場内にあるツーリストインフォメーションもスタッフ会議のため休みだ ペンザンスと合同会議なのだろうか?
狭~い通り
渚に沿った遊歩道だ
かなり家が密集している
灯台
かもめたち?
歩道の横は壁に遮られている
洪水防御計画の記念碑 ほぼ1年前のものだ
壁の高さは家の1階の天井まで つまりその下までは波が来る可能性がある?
その防潮壁を挟んで狭いところに公衆トイレが
干潮で広い砂浜
干潮時にのみ現れるセント・マイケルズ・マウントへの道を描いた絵画が土産物屋で売られていた
今は干潮のためかなり水が引いている
海水をものともせず散歩する犬たちとその飼い主
ちょうど正午になったのでランチを物色する。
食堂 B&Bも兼ねているようだ
グリルのメニュー ほとんど300円以下だ
紙袋のデザインもただの白無地のものより凝っていて美味しそうに見える
パスティ(パイ)
中は?
この辺で次の目的地へ向かうことにする。ここからは列車で行く。
St. Ives(セントアイヴス)駅
切符はここで購入する
駅に駐車場が隣接していると言うより駐車場の中にプラットフォームがあるかのようだ
St. Ives発の列車
St. Ives駅名表示
車内は空いている
海岸線に沿って走る
St. Erth(セント・アース駅)
少し時間があったので外へ出て駅舎を見る
ここで本線に乗り換えるのだ。
St. Ivesから約1時間45分で目的地に到着
そこはBodmin Parkway(ボドミン・パークウェイ)駅
保存鉄道の広告看板 観光シーズンにはここから出発するようだ
バス路線図
Padstow(パドストウ)へのバスは1時間に1本
Padstow行きの555番のバス
バスに揺られること約1時間でPadstowに到着。
シーフードクッキングスクールがある
スクールの料金案内 1日コースでも2万円くらいするのだ
このスクールを開いているRick Stein(リック・スタイン)のことを昨年BBC2の番組で偶然知ったのだが、イギリスの有名シェフでここパドストウにレストランや料理教室を幅広く展開している。
Padstow案内地図
ここにもシーフードレストラン
"Chippy"とは英俗語でフィッシュアンドチップス屋のこと
旧税関
釣り船の広告
海岸通
アイスクリーム屋
Fudge(ファッジ)というものすごく甘いお菓子も英国では定番だ 専門店があるくらいだから
桟橋
海を眺めるといかにも魚が多そうな感じがする 豊穣の海?
ベーカリー
中身の種類が多いので迷いそうだ
まだまだある
Rick Stein's Cafe 有名シェフであるリックスタインの店 B&Bもやっているようだ
とても狭い通り
古い漁村の街並?
さきほど買ったパスティで休憩
居心地が良いところなのでゆっくりしたいところだが、そろそろ時間切れになるので宿に戻ることにする。できればここに滞在したいくらいなのだが・・・・
バス停の近くにあるのはRick Steinのフィッシュアンドチップス店
残念ながら14~17時は休憩時間中だった
こちらは総菜店
駅へ戻るバス
17時30分頃にBodmin Parkway駅に戻って来たがペンザンス行き列車は30分以上の遅れ 待っているのが寒い
駅長からのメッセージ
いたるところにあるCCTVについて
Penzance行きの列車
19時41分Penzanceに到着。
20時近くになるとほとんどの店は閉め始めていたがフィッシュアンドチップス屋が開いていた
なかなか食欲をそそる紙袋だ
結局夕食はありきたりのフィッシュアンドチップス
Rick Steinのフィッシュアンドチップスが買えなくてとても残念だった。しかし結局フィッシュアンドチップスしか選択肢がなかったという結末だった。
23時00分就寝。
2012/03/12(月) 23:01:00 |
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7時20分起床。曇。気温6~2℃。
10時から17時まではCoramで4回目のインターンシップ勤務。作業手順にはすっかり慣れたので何の問題もなくスムーズに実施する。一番大切なのはキーワードの選択で、組み合わせを変えながら目指すリストを抽出して行く。しかし、時間がかかる割にはあまり進まないものだ。本当はもう少し単純作業の自動化ができれば良いのだが、パソコンのプログラミングのスキルまでは持っていないので、従来通り目視確認と手作業でのコピーアンドペーストを延々と繰り返す。
終了後、いったん帰宅して旅行の荷造りをする。今夜と明日の2泊だけなので着替え用衣類を入れるだけだが。
今日はOld Streetの寮で送別会がある。YURIとRYOの帰国日が迫ったからだ。20時20分に旅行荷物を持って出発し21時過ぎに到着。1年前にはまったく接点のなかった数十名と今ではこうして親しく送り送られという間柄になったのは、たまたま偶然が重なって始まったにせよ、今やそれが何ものにも代え難い財産なのだと嬉しい気持ちでいっぱいだ。ロンドンでの学生生活自体は過去のものになってもここで始まった友人関係は将来に続くからである。
1時間半ほど飲食や談笑を楽しんだ後、一足早く退去。Tubeを乗り継ぎ23時10分Paddingtonに到着。
発車時刻表 乗る列車の愛称は23時45分発Penzance行き"The Night Riviera"(リビエラと言うのはフランス南部のリゾート地の地名であるがこれから向かうイングランド南西部は英国版リビエラと呼ばれているため)
この列車である
First Great Western鉄道はイングランド西部と南部をカバーしている
通路の足下の常夜灯(誘導灯)
年季の入った入口ドア
スタンダードクラスだが個室寝台なのだ。
デスクにバッグを置く
ベッド 足の先はテーブルの下に入る形
緊急用警報器と脱出用ハンマー
乗務員呼び出しボタン
室温調節スイッチ
ライト
ライト点滅スイッチ
ベッド灯の明暗切り替えスイッチ
ミネラルウォーターとプラスティックカップ
洗面用キット
中には意外に多くのものが入っている
深夜のプラットフォーム
定刻通りに23時45分出発。
ビデオ用のディスプレー
ビデオコントローラー
ビデオのメニュー
スポーツ番組のメニュー
過去のサッカー試合のビデオ リバプール対アーセナル
明朝睡眠不足にならないよう0時30分頃就寝。
2012/03/11(日) 23:00:18 |
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8時45分起床。曇。気温5~3℃。
夜更かししたせいで、9時前まで寝てもすっきりしない。午前中はFacebookに昨夜(今朝?)アップした写真を入れ替えたりして過ごす。
今日のLunchtime Lectureは講師が出張で不在のためキャンセルになったが、午後はICCオフィスに向かう。信じたくはないが、2週間後には約11ヵ月間に及んだロンドン生活を終了して帰国する日が来るのだ。ところが帰国日確定の最大の理由であるBob Dylan東京公演のチケットが未だに届かないので、様子を教えてもらうためである。
2月22日に日本からICCオフィス気付で送ってもらったはずなのに、2週間経っても未だ着かないのだ。3月26日に成田に到着したその夜の公演なので、こちらにいる間に受け取らないと意味がない。しかし郵便を輸送中の問題だとしたら、それが着かない理由などわかるはずもなく、ロンドンで過ごして来た学生生活のことやインターンシップのこと、そしていつものように音楽の話を1時間余りして退去する。
もうすぐ出て行く時期になって部屋の天井の照明灯の電球(バルブ)が切れてしまったので、John Lewisに見に行くと0.95ポンド(約130円)と安かったので買う。これまでは最寄りのホーム用品ディスカウントショップHomebaseで購入していたが、わずかな違いとは言えデパートの方が安いとは思わなかった。
バルブ
夕食はビーフ、エビ、春巻の中華シリーズとコーンバター、サラダ
1時30分就寝。
2012/03/10(土) 23:59:34 |
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7時05分起床。曇。気温8~2℃。
今日は朝食と洗濯を同時に始める。9時45分に出発。2週間ぶりのフィドルレッスン。
12時30分頃に帰宅。
ランチはきつねそば
もう正式にフラットの退去連絡をしてあるので、留守中に何度か見学者が来た形跡があったが、今日は在室中に2度も見学者があった。不動産会社が大家から預かっている合鍵で勝手に入って来るのだが、さすがに在室中に急に来られるとバツが悪い。去年ここを紹介してもらった(つまり退去連絡をした)LTPSの場合は何日の何時頃に見学者を連れて行くと言う連絡を事前にくれるので、それに合わせて外出したりもできるが、今日は別の不動産会社だったので事前連絡はなかった。というか、まだ空室ではなく入居中であるということを認識していなかったのかも知れない。
昨夏自分が探していたときも、不動産屋に連れられて物件見学に行ったとき、テナントが在室中だったこともあれば、留守中に合鍵で入ったこともあるので、今はそのときと逆の立場になっただけなのだが・・・。
18時30分からCambridge Examクラスに出席。既に土曜日に4項目の試験を受けた後であり、次のSpeaking Testは受けられないので、直接的には出席の意味がなくなったとも言えるが、受験対策と言うより英語力の向上を目的に受講を決めたことなので、来週まではできるだけ出席することにする。
皮肉なことに今日はそのSpeaking Testに対する話し方のツボ(よく出される課題や質問)のようなことがテーマだった。
まあ確かに最近英語を話す時間が激減しているので、2時間だけでも集中的に英語に取り組む時間があるのは良いことだろう。
終了後、買い物にも寄らずにまっすぐ帰宅。
夕食はレトルトカレー(LEE)
昨日ベルリンのテーゲル空港に早く着き過ぎて帰国便の待ち時間が長くなったので売店でアイリッシュウイスキーを買った。元々アルコールはあまり飲まない(飲めない)のだが、2年半ほど前に初めてダブリンへ行った際に工場見学ツアーで試飲して気に入ったのだ。しかし先週アイルランドに行っていながら、そこではなくわざわざドイツで買って来たというところがヘンだ。
アイリッシュウイスキーJameson 500ml
Facebookにドイツの写真をアップしたり、持ち帰った資料や使った費用の整理などをしているうちに気が付いたら4時を大幅に回っていた。
4時30分就寝。
2012/03/09(金) 23:57:57 |
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5時00分起床。曇のち晴。気温7~-2℃。
ベルリンに行ってみようと思ったのは森鴎外の"舞姫"を読んだからだけではない。欧州の一方の雄、ドイツの首都として、歴史の舞台に良くも悪しくも何度も登場する場所、特にベルリンの壁の名残りを一度は自分の目で見てみたかった、などいろいろな理由からである。
5時45分にチェックアウト。
フランクフルト駅構内の店は6時前から既に開いているところもある
駅ナカのビストロの朝食案内 まだ店は開いていない
英国の朝食とは違って典型的なコンチネンタルスタイルだ ヨーロッパでは数字の小数点をコンマで示すことが多い
ベルリン行き列車の表示
車内は空いている
週初めだからかどうかわからないがスタンダードクラスはかなり混み合っていて座りきれない乗客もいた。奮発してファーストクラスを取っておいて正解だった。
各座席に置かれていた列車旅程案内
これにはとても感心した。当該列車の編成と設備、始発から終着までの時刻、各駅で連絡する列車の番号、運行経路、ホーム等の詳細が書いてある。さすがドイツらしい完璧さというべきか。
中はこんな調子で細かい字が印刷されている 汎用ではなく各列車毎に作られているのが素晴らしい
フランクフルト駅に6時00分に着いて6時14分に発車する
出発時はまだ暗かったが7時頃になると日の出の空の色になった
ファーストクラスのみのサービス車内朝食
Cold mealだがソーセージ、ハム、チーズ、トマトはいずれも美味しい
どれもパンとの相性が抜群だ
ZEISSという文字を見るとどきどきする カメラとレンズの歴史的名機のメーカーとして
しかしこれはカメラとは何の関係もない 添加物を加えないソーセージを作っているということが書いてあるようだ
車窓の景色はただ茫洋たる雪原
ファーストクラスは横に2列プラス1列なのでゆったりしている
定刻の9時51分にベルリン中央駅到着 東京~新大阪間くらいの距離か?
ベルリン中央駅の長距離列車用プラットフォーム
これが乗って来た長距離特急列車ICE(InterCity Express)
この二階建て列車は気になる
今回は時間がないが、いつか乗ってみたい
ドイツのコインロッカーの使い方は日本のものとほとんど同じなのでわかり易い
鉄道駅というより空港のような階層構造である 最上階から長距離、中距離、ショップ、地下鉄が縦に連絡している
ガラス張りの円形エレベーター
熊はベルリンのシンボル
青い熊も
バーガーキングとピザハットが見える
Sバーン(近郊列車)の行き先案内表示
Sバーンの列車
ウンター・デン・リンデン駅 ブランデンブルク門にも近い
ウンター・デン・リンデン通り
ブランデンブルク門
ブランデンブルク門越しに東を望む
ランチ ドイツのソーセージは絶品 これはホットドッグではなく"ソーセージを食べるためにパンで挟む"のである
可愛らしいデザインのペーパーナプキン
ベルリンフィルの本拠地 カラヤンが現役時代に作られたものらしい
いよいよ壁を見に行く。
壁は鉄筋コンクリートでできていたのだ
この壁は当時の市民には決して破れない無限の厚さだったのだろう
壁の名残り
この場所はゲシュタポやナチ親衛隊の本部があったところで、第二次大戦とその後の東西冷戦時代の歴史を示すポスター展示が延々と続いている
ヒトラーとヒムラーの握手
アイヒマン
爆破された駅の写真
旧民族学博物館の写真
ゲシュタポ本部の全景
1945年の敗戦後、元ゲシュタポ本部ビル前の瓦礫の道を米兵が歩いている
13時30分でも気温は2℃とかなり寒い わずか半世紀から四半世紀前の衝撃的な事実を示す多数の写真の影響もあって気分が悪くなる
旧東独が誇る国民車トラバント
シンプルで頑丈な車なので未だに人気があるようだ
デザインは恐ろしく古くさいが、それがまたノスタルジックで良いのかも・・・
ロゴも時代掛かっている
ここで壁が途切れているがただの風景になっていて誰も意識はしていない
米国陸軍検問所跡 現状保存してあるが当然ながら今は周辺に何の緊張感もない
壁博物館 暖房で身体は温まったが壁にまつわる物語や事物がところ狭しと展示されていて少しごちゃごちゃした印象
Uバーン(地下鉄)の検問所の最寄り駅
地上入口からすぐ下にプラットフォームが見えている トンネルは浅いのだ
プラットフォームから地上までの距離(深度)はこれだけしかない 余程地盤が堅固なのだろうか?
Uバーンの車両
ベルリン中央駅に戻る。
熊3頭が見送り 全部デザインと色が違う!
ベルリン中央駅全景 駅前には広大なスペースがあってその向こうにバス停がある
テーゲル空港へは鉄道が通じていないのでここからバスで行く
15時到着。ちょっと早く着き過ぎて時間を持て余した。空港は思ったより小さくてショッピングとかお茶を飲むとかもできない。
搭乗待合室 ガラスの壁の向こう側は到着客の通路 首都ではなく地方都市の空港のようだ
帰国便はBA985 機体はエアバスA319 16時25分出発予定
16時48分離陸で17時26分ヒースロー着(時差は-1時間)。
ヒースローの両替所
19時前に帰宅。かくして強行軍のドイツ旅行は終わった。
夕食は中華総菜3種、コーンバター、サラダ
1時05分就寝。
2012/03/08(木) 23:05:00 |
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3時35分起床。快晴。気温5~-3℃。
高校在学中だったか卒業してからだったか明確には覚えていないが、マイヤー・フェルスターの「アルト・ハイデルベルク」を読んでからハイデルベルクにはいつかぜひ行ってみたいと思うようになった。
それから20年余り過ぎて出張で初めて西ドイツのマンハイムへ行く機会があり、契約交渉中だった相手先の会社の人が帰りにハイデルベルク観光を勧めてくれたのだが、2月の酷寒の時期だったこともあり一緒に行った上司があいにく風邪気味だったことから結局立ち寄らずにフランクフルトのホテルにまっすぐ戻って来たことがある。
そういうわけで、今回ハイデルベルクへ行ってみようと思い立ったのは、かれこれ半世紀近い懸案を実現するためであった。
4時40分出発。地下鉄とバスを乗り継ぎ5時20分にPaddington着。
早朝の駅構内はさすがに人も少ない
パディントン発5時25分のHeathrow Expressでヒースローへ
7時20分発のフランクフルト行きBA902便
搭乗機
機内はとても空いている 客をLCCに奪われているのか、単に日曜日の早朝便だからか?
機内食の朝食
10時12分フランクフルト着。列車へ乗り継ぐために隣のターミナルまでシャトルバスで移動。
フランクフルト空港ターミナル
ここはいったいアメリカか? シェラトンホテルにマクドナルドとは
列車乗り場の表示
まだ雪がある
ロンドンの方がはるかに北に位置するのに暖流のおかげで暖かいのだ。急に寒さがこたえる。
約10分で車窓にフランクフルトの市街が見えて来た
フランクフルト中央駅
ホテル全景 駅の真横にある
11時30分、ホテルにアーリーチェックインして荷物を解く
一応テーブルもある 日本式に言えばビジネスホテルだ
壁面にはなぜかミロのポスター
早速ハイデルベルクへ向かう。
フランクフルト駅構内 ドイツでも大きな駅の一つである
列車のチケット
プラットフォームの表示
12時20分発ハイデルベルク行き急行列車
車内は空いている
最初の停車駅ダルムシュタット
そこから先の車窓から見えるのは一面に広がっている雪景色ばかり
13時12分ハイデルベルク中央駅に到着
駅の中に鉄道模型ジオラマ さすがメルクリンを生んだ国
コントローラーの前面にコイン投入口がある
この町にカーボーイは全然似合わないと思ったら煙草の広告だ
ハイデルベルク中央駅の全景
駅前には馬をモチーフにしたオブジェ
街を凝視する男の像
市内地図
旧市街の拡大図
バス便もあるが徒歩でも行けそうなので旧市街へ向かって歩く。
優雅なビルの屋上にドイツの名門製薬会社バイエルの表示が見える 1階は薬局なのだ
道路を隔てて旧市街の入口が見える
まったく車の通っていない横断歩道の信号が青に替わるのをじっと待つ人々 英国や米国では絶対見られない光景 さすがドイツ人
自転車専用道路はオレンジ色で目立つ
旧市街案内図 トイレの位置も全部書いてあって便利
読書する学生の像?
通りの風景 歩行者専用道路なのだ
サッカー観戦後の人々 この後ろ姿では多分負け試合だった?
ホットドッグに相当するドイツ語はないのか? 多くの商店は日曜が休み
ホットドッグバー!
ワインショップにも日本語が書いてある 訪問客が多いのだろうか?
古い風格のある建物
道路は氷に覆われていてよく滑る
ハイデルベルク城が上方に見えている
日本語で免税店と書いてあるがここも日曜は休み?
ケーブルカー乗り場
ここにも日本語がある
ケーブルカーの中間駅"城駅"から"頂上駅"が見える
城門
城域内
ほとんど廃墟だ 17世紀にフランス軍によって破壊されたのだ
城内はゲレンデのような新雪
壁が破壊された状態で残されている
城壁からの景色を楽しむ観光客
街を見下ろす
橋(Alten Brücke:アルテ・ブリュッケ)を望む
城内の博物館に入るには入場料金が必要
門番たち?
城内の古い建物
ランチにパンを一つ買ったらこの袋に入れてくれた 1891年創業のベーカリーなのか
ランチのパン
城内のカフェの店内 暖かくてずっと座っていたい
城内にある薬学博物館
内部はこんな感じなのだ
再びケーブルカーで城から下りて街を歩く。
ネッカー川沿いの道
アルテ・ブリュッケの入口 上を見ると恐い
橋の中央付近
並木は妙な枝振りの木々
葛折れの上り道が見える
哲学者の道の表示
細い上り道が延々と続く
氷に覆われた狭い道 ものすごく滑り易い
最後の階段
ここが"哲学者の道" 京都にも"哲学の道"があるが雰囲気はまったく異なる
対岸にハイデルベルク城を望む
同じ道を通って再び旧市街へ戻る。
民俗学博物館
ローテン・オクセン これこそが"アルト・ハイデルベルク"に登場する1703年創業の学生酒場だ 残念ながら日祝は休み
Uni-Shop(大学の売店)
売店の営業時間、ではなく学生牢の開館時間
Studenten Karzer(学生牢)の表示
大学図書館
図書館の玄関上の表示
いかにも歴史ある通り 戦争中の爆撃を免れた数少ない街かも
日の入り近く、真正面に太陽が沈みつつある
帰りはバスで旧市街入口からハイデルベルク中央駅まで戻る。
プラットフォームに自転車置き場があるのは英国と共通
コンポーネント式客車も現役だ
18時53分ハイデルベルク発急行列車で19時53分フランクフルト着。
フランクフルト駅ナカ商店街
ピザ
アイスクリーム
美味しそうなソーセージ
各種サンドイッチ
中華っぽい料理も
結局夕食はローストポークサンドイッチをtake away
明日も早起きしてベルリンへ向かう。
22時20分就寝。
2012/03/07(水) 23:04:23 |
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7時00分起床。曇のち快晴。気温7~-1℃。
今日はいよいよCambridge Examの本番である。試験は9時開始だが受験票には30分前に到着するようにという指示が書いてあったので、早目に出発。いつものようにバスの2階最前席に座ってAbbey Roadの横断歩道の方向へ南下しているときだった。何気なく持ち物の指示書きを再確認しながら、"あッ"と思ったのだ。photo ID(写真付き証明書)が要ることは分かっていたつもりだが、具体例としてPassport or National Identity Cardとだけあって学生証は含まれていない。
一瞬、頭が空白になった。どうするか?取りに戻っていると間に合わないかも知れない。しかし証明書なしでは試験そのものが受けられない。問答無用、間に合うかどうかは二の次で取りに帰るしかない。
次のバス停で降りてすぐに逆方向のバスに乗る、と思ったがまだ遠くまでは来ていなかったので急ぎ足で帰宅。決してパスポートのことを失念していたわけではないのだが、どうやら昨夜から"お別れ会"の余韻に浸っていて今朝はかなり注意力が薄れていたようだ。
まあ、問題が起きた時にはとりあえずその対策に手を尽くすことが最優先だ。というわけで本来なら到着していなければならないはずの8時33分のバスで再出発。乗車してからも内心は気が気でなかったが、傍目にはどっしり構えて運を天に任せた。
幸い今日は土曜日なので渋滞もなく8時50分にOxford Circus着。試験会場はLittle TitchfieldのLibraryの入っている校舎なので、そこまでまた急ぎ足。ようやく入口が見えた時に腕時計を見たら8時59分だった。ところがイブニングクラスのクラスメートとその他にも2、3人がが今まさに入口を入って行くところが見えた。
やった!ここが日本ではなくロンドンであることに、このときほど感謝したことはなかったかも知れない。遅れて来た受験生たちはまったく悪びれた様子もなく、会場整理の係員もまた何でもないという風に入口から試験会場までエスコートしてくれる。そうなのだ、5分や10分、いや30分程度を遅刻とは言わない!のだ。
もっともこれが暑い季節だったら、ここへ来るまでに汗だくになって受験どころではなかったかも知れない。しかし、今は汗をかかないで済む季節だったことも幸運だったのかも。
受験会場の大教室に入ると何人かクラスメートの姿も見え、互いに目で挨拶する。会場係員に案内されて自席に着いたときには、既に受験に際しての注意事項の説明が進行していたが、実際に試験が始まるのには悠々間に合ったのだった。
最初はReading testで75分間、続いてWritingが90分間、と、ここまでは無心で試験用紙に向かう。Writingは二つのトピックスについて書かなければならないため時間配分には気を遣う。あっという間に昼休憩に入った。
ランチは近くの軽食レストランEATへ。朝は空全体を覆っていた雲が切れて青空が出て来た。バゲットサンドをカプチーノとともに店内の席で一人で食べる。
店内から見たリージェント通り
同上
60分間の休憩後、ボキャブラリーとか文法を問うUse of Englishが60分間、最後はちょっと苦手のListeningで40分間。15時にはすべて終了。やはりListeningが一番難しかった。今までTOEIC、TOEFLに比べてIELTSが格段に難しいと思っていたが、このCambridge Examは間違いなくその上を行く、と感じた。
試験内容の難易度ということではなくて、テスト項目の多さとそれに比例する時間の長さから長時間極度の緊張を強いられるという意味で。もう大昔のことで忘れてしまったが大学入試の緊張に近いのかも知れない。しかし受験後はどちらかと言うと爽快感が優った。確かに難しいことは難しかったが、それなりに全力を出し切れたように思えたからかも知れない。
この後は3月27日にペアトークが課せられるSpeaking testがあるのだが、残念ながら受けることはできない。しかしそのことももう既に納得済みなので、まだイブニングクラスは続くものの、今日の試験で1年間の英語の学習は終わったような気分になった。
今日はJubilee lineが運休のため帰りもバスで。Oxford Streetを西へ進み、ふと左側を見ると・・・
意外なところに恐竜たちが現れた
Oxford Streetにある高級デパートSelfridge'sのちょうど向かいの辺りは一等地にもかかわらずずっと空き地になっていた。通りを歩いていても塀に遮られて中は見えなかったが(所々に覗き穴が設けられているのでまったく見えないわけではない)、バスの2階からはよく見えた。建築現場のように何か掘り返したような感じなのである。塀のどこかに貼ってあったポスターによれば、いずれはショッピングセンターができるはずだった。
ところが、今日初めて気付いたのだが恐竜の実物大模型が置いてある。誰が、何のために??
何か専門のイベント会社が運営しているアミューズメントパークのような感じ
やがてOxford Streetから右折して北へ進む。朝は幸いなことに15分余りしかかからなかったが、週末の都心の渋滞のおかげで家の前のバス停に着いたのは乗車してから32分後だった。
快晴の天気も精神にプラスに働くのか、何か気分が高揚したまま久しぶりにたっぷりフィドルの練習をする。
夕食はハム、チキンと舌平目の残り
昨日お別れ会で会ったHIROも今頃はヒースローで帰国便の搭乗待ちをしている頃だろうか?今日は滞在318日目、あと3週間ほどでロンドンを離れることが未だにピンと来ない。
0時40分就寝。
2012/03/06(火) 23:03:46 |
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7時15分起床。快晴。気温9~-4℃。
"The Real Van Gogh: The Artist and His Letters"(真実のゴッホ、画家とその手紙)展を再度見に行くことにした。
Royal Academy of Arts(王立芸術院)
青空をバックに浮かぶゴッホ展開催中の案内フラッグ
9時50分に着いたが10時からの当日券発売待ち行列は思ったより短い
当日券売場への入口
10時の開館と同時に列が少しずつ動き出したものの中に入ってもまだ行列は続いている
1時間以上の行列を覚悟していたが、並び始めて45分後の10時35分に入場できた。中も混んでいるかと思ったが意外にゆっくり見ることができた。特別展なので料金は無料ではなく8ポンド(学生料金)だった。
ゴッホは元々好きな画家の一人ではあったが、4年前にアムステルダムへの出張から帰国する日の午前中、少し時間があったのでVan Gogh Museumへ行ってみたところ、2階のワンフロアが何十点にも及ぶゴッホの作品で埋められており、それらを年代順に見て行くと作風や雰囲気が大きく変化していることを視覚的に感じることができた。他の美術館のように例えば「ひまわり」だけを単独で見るのではなく、パリに移る以前の時代から晩年に至るまでどこでどんな心情で暮らしていたのか、など画家個人へも思いが及ぶようになり、ますます各時代の作品にじっくり向き合ってみたいと思わせられるような経験だった。
今回の企画は肉筆の手紙(とそこに描かれたスケッチ)と作品が合わせて展示されているので、彼の生涯(の一部)を追体験できるような気にさせてくれるのだ。
ただし、展示作品は撮影禁止。
作品を堪能して12時30分に帰る頃には当日券の行列はさらに長くなっていた
会場はピカデリー通りに面している
総合スポーツ用品店"Lillywhites"は冬期商品処分と春物セール中
ピカデリーサーカスの象徴エロス像
こちらもピカデリーサーカスの顔の一部のような三洋電機とTDKの大看板 いずれは韓国と中国メーカーのものばかりになる日が来るかも
最後の悪あがきではないが、ドイツ旅行の直後にイングランド南西部の最果てLand's Endまで鉄道旅行を計画している。そこでPaddington StationでPenzanceまでの往復券と往路のSleeper(寝台車)チケットを購入。99.5ポンド(約14,000円)。うち寝台券は45ポンドなのでB & Bで1泊するのと変わらないし、朝から現地で時間を使えるのが何よりのメリット。
いったん帰宅して、ランチはボンカレーとは違うレトルトカレー
我々ICC(International Cross-cultural Committee)のUK40期生は今月で全課程を修了する。インターンシップの完了や日本での次の行事のためにもう既に帰国した人もいるが、今日が全員集合の最終機会となる"お別れ会"である。
18時集合、会場はレストラン"Terra" Cavendish校舎のすぐ近くである
前期までは学内のレセプションルームを借りて開催していたそうだが、規則の変更によりアルコール禁止になったため初めてレストランでの実施になった由である。
食事は3コースメニューでメインコースとデザートは数種類からそれぞれ選ぶことができる。
サラダに続くメインコース 何人かが選んだハンバーグ?のようなもの
他の何人かが選んだピザ
同じくパスタ
デザートの一つ
別のデザート
以下は既に帰国した3名、欠席者3名を除く40期生に深野さん、CHARLIE、卒業生の飛び入りを含む面々の楽しい談笑風景
一人一人に修了証書が授与される
有志による発案が結実した卒業アルバムの贈呈 一人一人に合わせて作ってあるという文字通り世界に1冊の貴重品
こうして見ると本当に皆の顔が生き生きしている。1年の間には楽しいことばかりでなく苦しい時期もあっただろうが、今ではそれらを乗り越えて来た満足感が優っているのであろう。帰国を前にした気分の高揚も加わっているかも知れない。
昨年4月まではばらばらに日本のどこかにいて、互いにまったく知らなかったもの同士が今や出身地、大学、年齢を超えて友人になれたことが最大の収穫だろう。現在はFacebookやTwitterのおかげで物理的に離れてもお互いに近況をリアルタイムで知らせ合うことができるから、この関係は間違いなく末長く続くだろう。何しろ1年間を外国で共に暮らすという日本の大学の普通の同期生とは比較にならない特別な経験を分かち合ったもの同士なのだから・・・
それにしても深野さんの談ではこんなにまとまりが良くて仲の良い学年は初めてだとのこと!でも特別に誰かリーダーがいて統率したというのではなく、たまたま23名の個性が上手い具合に影響しあって相乗効果を生み出したというより他にない偶然の産物だろう。
またいつか必ず日本での再会を約して、22時過ぎに名残惜しくもお開きとなった。
1時20分就寝。
2012/03/05(月) 23:03:05 |
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7時20分起床。曇のち晴。気温7~0℃。
10時からCoramでの勤務3週目。前回までと同様、黙々とデータベース検索とリストアップ作業。ランチは皆と同じように外食は止めて、WaitroseでSandwichをtake awayにする。それにTeaをセルフサービスで。
17時に勤務終了後、今日は一旦帰宅するのを止めてRussell SquareからPiccadilly Circusへ。木曜日なのでJapan Centreで週刊ジャーニーとニュースダイジェストの今週号を手に入れる。ついでにお茶漬けにかかせない梅干を買う。
18時30分から3月6日のテスト本番前としては最後となるCambridge Examクラス(全20回の第14回)に出席。授業中に珍しく携帯に電話が入り、出ずにいると自動的に留守録に切り替わったので休憩時間にそのメッセージを聞くと電話はWAKUからでGOROからのメールを見たか?とのこと。メールを確認するとGOROは明日一足早く帰国の途に付くので今夜は寮でお別れパーティを開くということだった。自分で自分のお別れパーティの開催案内というのも何かヘンだが、まあそれはさておき授業が終わってから参加することとしてその旨を返信する。
もう何度も通ったVictoria Station近くのWigram Houseに行くのももう最後かと思いながらGOROのさよならパーティへ。19時頃から始まったパーティは既に宴たけなわで明日東京へ出発するGOROと明後日出発するHIROが送られる側だが、遅かれ早かれ今月中には全員日本へ帰るのだ。考えようによってはこうして大勢に見送ってもらえるうちに出発した方が良いのかも知れない。同期がほとんど誰もいなくなった後で一人寂しく旅立つよりは・・・。
2時間半余り楽しかった思い出話や今後の計画等の話をして、23時30分頃に他の何人かとともに寮を辞去し、tubeを乗り継いで0時過ぎに帰宅。
明日の夜はICC40期生の公式のお別れ会である。
1時20分就寝。
2012/03/04(日) 23:02:31 |
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7時35分起床。曇のち晴。気温6~2℃。
朝のBBCニュース 2012年のオリンピックスタジアムが完成したようだ
ランチは懐かしのボンカレー
12時30分に出発してRegent校舎へ。Lunchtime Lectureに参加。
それから通りを隔てたLloydsへ行き、毎月9日の家賃引き落とし中止の手続をする。
14時30分にICCオフィスを訪ねて近況報告をする。明後日には40期生のお別れ食事会があるなんて本当に信じられないがちょうど四季を一回りして、みんな帰国の時期になったのだ。
夕食はハム、チキンカツ、コーンバター、サラダ
食後、ExpediaでFrankfurtのホテルを検索する。到着日、出発日ともに市内観光ではなく鉄道での移動拠点にするための滞在なので、できるだけ駅近くの場所を最優先としInterCity Hotelに決める。また2日目のBerlin行きはICE(ドイツ鉄道Deutsche Bahnの誇る長距離特急列車Intercity Express)の始発列車、しかもFirst Classを予約する。6時過ぎの発車なのでホテルの朝食は時間が早過ぎてとれないため、First Classが朝食付きであることと、3時間半余り乗ることを考慮に入れると少し贅沢しても良いかと考えた。151.6ユーロ(約18,000円)の料金は東海道新幹線の東京~新大阪間グリーン指定席とほぼ同じだが、新幹線には朝食は付かない。それに鉄道ファンとしてときには最上級クラスの座席も経験したい、などいろいろな理由をつけて・・・
0時45分就寝。
2012/03/03(土) 23:01:53 |
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7時00分起床。快晴。気温10~-1℃。
7時30分の東の空
3月になってますます日の出が早まってきた。念願のアイルランド旅行(ゴールウェイ、アラン諸島、ベルファスト)の次は、これも長い間待ち望んできたドイツ旅行(ハイデルベルク、ベルリン)の準備だ。ドイツにはこれまで3度(合計10日間滞在)行ったことがあるが、すべて仕事だったのでいつかゆっくり観光したいと思っていた。
今回は初めての純粋な観光旅行であるが、ゆっくりどころか1泊2日の最短期間にフランクフルトを起点としてハイデルベルクとベルリンを回る"超"強行軍である。
とりあえずは航空券を入手しなければならない。本音ではクラスメートたちがよく利用するLCC(格安航空会社)を使ってみたいところだが、従来の航空便とは異なるルールにちょっとした慣れが必要なようなのでなかなか踏み切れず、今回も結局British Airwaysという一番高い選択肢を取ってしまった。
3月7日(日)にフランクフルトまで飛んで、翌8日(月)にベルリンから帰って来るという入口と出口の異なる往復で片道2時間足らずのフライトだが、直前の予約のため割引枠はなく225.5ポンド(約30,000円)だった。
今日のイブニングクラスを受けられるかどうか心配だったが、CHARLIEからメールで授業料入金確認とIDカードの制限解除済みという連絡が来た。不具合の原因は単にエラーによるものという説明だけであった。
火曜は本来ならフィドルレッスンの日であるが、アイルランド旅行で練習時間が取れないことを理由に1回飛ばして次は9日に予約を変更済みである。そういうわけで、午前中は旅行の着替類をまとめて洗濯。ついでにコートからマットから何もかも洗濯した。
ランチは最近お気に入りの春巻きとエビ
好天に恵まれるとどうしても家の中にじっとしていられなくて、14時過ぎに外出。まずバスとtubeでRegent校舎まで行って、本当に問題なくカードで入館できるかどうかを確認。それからHMVでCDを物色。日本ではもちろんのこと、米国でも見たことがないミュージシャンやバンドのCDやDVDが山ほどあってできるものなら手当り次第に片端から買って帰りたい衝動に駆られる。
いったん帰宅する途中West Hampstead StationでOyster Cardをtop-upしようとしたところ、Student Cardの有効期間が今月末までなので1 monthチケットは日数不足で購入できず代わりに7 daysを購入。
18時に再度出発。今日は1週間ぶりにCambridge Examクラスに出席。全20回のうち今日は13回目である。本番のテストESOLは6日(土)にSpeaking Test以外が行われる。このクラスからも何人かが受験を予定しているようだが、多くのクラスメートは次回(6月)のテストを受けるつもりらしい。
21時帰宅。
夕食は舌平目のフライ
チキンヒレカツ
というお手軽メニュー2種にコーンバター
1時50分就寝。
2012/03/02(金) 23:00:48 |
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7時40分起床。快晴。気温10~0℃。
昨日は到着が遅かったので既に店も閉まった後の夜の街を少し歩いてみただけだが、今日は天気も良いし半日は街歩きをするつもりだ。
ホテルの部屋から見える街の景観
新しいビルが多くていかにも大都市だとわかるが、背景に山並みが見えるのはイングランドと決定的に違うところだ。今回の旅行は出発の前日までインターネットでばたばたとフライト、フェリー、ホテルを探したため(あまり比較検討する余裕がなく)結果的に割に高い費用をかけてしまった。選んだホテルは初日のゴールウェイが一番高く、二日目のアラン島のB&Bが一番安く、最終日のここベルファストが中間ということになる。それでもその最終日が会社員時代に出張で何度も利用したHilton(過去に泊まったのは主として米国であってBelfastはもちろん初めて)だったので一番リラックスできたことは確かだ。
ホテルの客室内部
これが典型的なヒルトンスタイルのデスク周りだ
形状はともかくデスクの表面積が大きくて使い易い。
エレベーター内部にNext Stop(次の停止階)が表示されている これはあまり見たことがない
食堂 8時はまだ早いのかよく空いている
客はまばらである
フルブレックファストのセット内容はどこも変わらないがホテルよりB&Bの方が美味しいことが多いように思う(もちろん期待はずれのこともある)
大量生産かオーダーメードの違いかな?
フルーツとヨーグルト
これは逆にホテルの方が(一般的に)種類が多くて良い。
ヒルトンホテル全景
9時45分にチェックアウト。短期旅行なので荷物はリュック一つ、預けずにそのまま持ち歩く。
ホテルから市内中心部へ続く道
面白そうなマーケットを発見 だが残念ながら金、土のみの営業
道標
さてどこから行くか?
観覧車Belfast Eye London Eyeのまね?
緑のドーム屋根の建物はCity Hall(市庁舎)だ。昨夜はライトアップできれいだったが、日中見るとまたずいぶん趣が違う。
バスセンター
時計塔 これだけが単独で立っているのはちょっとヘンな感じ
有料公衆トイレット
料金投入口 料金は20p(約25~30円)
Custom House(税関)19世紀から20世紀にかけて使われていたが今は歴史遺産
Custom House Square(税関広場)今は公園として整備されている
大きな魚のオブジェ
Quays(埠頭)
この付近の海岸に作られた波止場は17世紀から1980年代まで貨物船の発着に使用されていたようだ。またBelfastという地名はゲール語の「砂の浅瀬」に由来していると書いてある。
羊飼いと羊たちのリアルな像 こういうタイプの像は日本では見られない(と思う)
オックスフォード通り Londonに同じ名前の通りがある
次にクイーンズ大学と植物園辺りに行ってみようと思い、歩くには遠いためローカル線に乗ることにした。
Belfast Central Station(中央駅)
駅構内
大きくカーブしたプラットフォーム
ローカル列車
Botanic駅が植物園の最寄り駅 ここにもSPARがあった
"クライスラー 300C"のタクシーは英国ではあまり見たことがない フロントグリルの感じがちょっと違うような・・・
植物園案内図
大きな木とベンチ 日当りが良くて気持ち良さそう
植物園の案内道標
温室入口
花が満開
アロエ
Ulster Museum(アルスター博物館)
月曜は休館だった
何となく既視感のある通りだ 日本の都市部にもありそうな・・・
Bishop'sレストランの店内
フィッシュアンドチップスコーナーの客席
注文カウンター
フィッシュアンドチップスはLondonより安いがそれでも1,000円近くはする。バーガーの方が安いのだ。
フィッシュアンドチップス
味は決して不味くはないが特別美味しい部類には入らなかった。これまでにとびきり美味しいのをあちこちでたくさん食べたので舌が肥えたのかも・・・
The Queen's University of Belfast(クイーンズ大学)
大学の正門ゲート
14時10分のダブリン行き列車に乗る予定なのでバスで駅まで戻ることにした。
バス車中 高齢者が多い
The Crown Bar 道標にわざわざ名前が書いてあったくらいだから由緒あるパブなのだ
市街地中心部に近づくに連れて、まだ時間がありそうなので途中下車して歩くこととした。
歩行者専用ストリート
アーケード通り
ほどなく中央駅に到着。
発車時刻表示ボード
空港のような改札口
発車時刻
列車のドア
14時10分定刻に出発。
車内販売のティー
窓の外にはのどかな田園風景が延々と続く
山頂が白いのは積雪か?
ティーをもう一杯
風力発電も盛んらしい
緑の列車
干潮で水が少なくなっている
ヨットが水面からかなり高い位置に留めてある 満潮になればずっと水面に近づく(接する)のだろうか?
16時30分 Connolly駅(ダブリン)に戻って来た
夕日をバックに列車がシルエットになっている こういう景色はとても好きだ
両端だけでなく中央部にも歩道があってとても歩き易い大通り
O'Connell Street(オコンネル通り)と光の尖塔 ダブリンの象徴
人力車(旅客自転車)
アイルランド共和国と同様にラグビー人気は高い
駅前から空港シャトルバスでDublin Airportへ。道路の渋滞で45分かかった。
ターミナル
日没
搭乗機
エアバスA320
機内で出されたコーヒー
飛行時間はわずか53分間。ヒースローからHeathrow Expressとtubeを乗り継ぎ約40分で家に着いた。21時30分帰着。
こうして3泊4日の小旅行は無事終わった。アイルランドに行くのは2回目だが、西部のゴールウェイも北アイルランドのベルファストも初訪問だったし、念願だったアラン諸島のドゥーン・エンガスにも行けたし、たいへん満足度は高い。でも一番心に残ったのは列車の窓から見たアイルランドの田舎の景色そのものだ。
もう随分昔のことになるが、中学2年生か3年生の頃に国語の先生が国内外の詩人の詩を毎時間自分で謄写版(ガリ版)を使って印刷して配ってくれた中にあった丸山薫の「汽車にのって」という詩(※)から受けた鮮烈な印象が半世紀も消えることなく記憶に残っていたことに発するのだ。
ドゥーン・エンガスもそうだが、小説や詩に触発されてその現地を訪ねてみるというのは、どんなに時間を経過した後でもとても良い経験になると思う。
夕食はレトルトカレー
1時25分就寝。
(※)丸山薫詩集”幼年”から「汽車にのって」
汽車にのって
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
窓に映った自分の顔を道づれにして
湖水をわたり 隧道(とんねる)をくぐり
珍しい顔の少女(おとめ)や牛のあるいてい(旧かなづかい)る
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
注)”あいるらんどの田舎”ではなく”あいるらんどの
やうな 田舎”なので、必ずしもアイルランドのことに限定されてはいないわけだが、中学生だった自分の印象に残ったのはあくまでアイルランドとしてだった。
2012/03/01(木) 23:33:06 |
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